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雑記

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○目録の更新
 「武田氏研究文献目録」のうち、2007・2008年分のデータを更新しました。主な追加文献は、下記の通りです。

【2007年】
・山梨県立博物館監修『武田信玄からの手紙』(山梨日日新聞社)所収の論考
・小川剛生「冷泉為和と戦国大名(上)」(『しくれてい』102号)
・松澤芳宏「飯山市静間、舟山陣所跡と上野原の戦い」(『信濃』59巻12号)
・『大河ドラマ特別展 風林火山』(NHK・NHKプロモーション)所収の論考

【2008年】
・平山優・丸島和洋編『戦国大名武田氏の権力と支配』(岩田書院)所収の論考
・小笠原春香「武田氏の駿河侵攻と徳川氏」(『地方史研究』336号)
・寺島隆史「上田築城の開始をめぐる真田・徳川・上杉の動向」 (『信濃』60巻12号)
・西尾賢隆「機山信玄と禅宗関山派」(『日本歴史』726号)
・松澤芳宏「弘治三年における甲越合戦の戦況」(『高井』165号)

 なお、海老沼真治編「武田氏関係研究文献目録 一九八三―二〇〇七年」(『戦国大名武田氏の権力と支配』所収)の内容は、本サイト上のデータにはまだ反映されていません。利用にあたっては、ご注意ください。
(2008-12-29)
○シンポジウム成果論文集の刊行
 近年、科研費やシンポジウムの成果論文集の刊行が相次いでいます。シンポジウムとは、なんらかのテーマにそって企画されるものですから、当日参加した人の間でしか知見を共有できないという点は、やや残念な面がありました。たとえ発表者個々人が報告を論文化しても、発表媒体がばらばらでは、シンポジウムそのものの主旨と切り離された形になってしまい、受け止められ方も違ってくるからです。ですので、シンポ論文集の刊行が増えつつあるというのは、大変喜ばしいことだと思います。

 今から約1年半前、2006年度武田氏研究会総会の場において、「武田氏研究の新展開」というシンポジウムが行われました。このシンポジウムは、同会の若手研究者有志が行っていた勉強会の成果の一端を発表したもので、丸島もその中に加わらせていただいておりました。
 この勉強会は、その後も継続をしており(現在進行形です)、シンポの成果に加えて、内容を増補した上で、ついに論文集を刊行する運びとなった次第です。

   【平山優・丸島和洋編『戦国大名武田氏の権力と支配』岩田書院】

 第一部 権力構造

平山 優  「武田氏の知行役と軍制」
丸島 和洋 「武田氏の領域支配と取次―奉書式朱印状の奉者をめぐって―」
柴  裕之 「武田氏の領国構造と先方衆」
黒田 基樹 「武田氏家中論」

 第二部 領国支配

鈴木 将典 「武田氏の検地と税制」
小笠原春香 「武田氏の外交と戦争―武田・織田同盟と足利義昭―」
長谷川幸一 「武田氏の宗教政策―寺社領の安堵と接収を中心に―」
小佐野浅子 「武田領国の土豪層と地域社会」

丸島 和洋 「史料紹介 高野山成慶院『檀那御寄進状并消息』」
海老沼真治 「武田氏関係研究文献目録 一九八三―二〇〇七年」

 刊行されたからには、ご批判を仰ぐしかありませんので、主旨や内容に関して、ここで書き記すことはいたしません。ただ、わたしが言うのも何ですが、執筆陣が驚くほど若いです。ですので、若手研究者の熱意だけは、十分に籠められているものと思います。

 最後に、出版をご快諾頂いた岩田書院さまには、改めて御礼を申し上げさせていただきます。
(2008-12-11)
○『戦国遺文武田氏編』正誤(1)
 武田氏関連史料を納めた最新の史料集には、家分け史料集である『山梨県史資料編』と、編年文書集である『戦国遺文武田氏編』(東京堂出版)とが存在します。家分けと編年は、それぞれ使われ方が異なりますから、両方が揃っている、というのは非常に研究上ありがたいことだと言えます(この点に関する考え方の問題は、またいずれ、ということで…)。
 このうち『戦国遺文武田氏編』については、しばしば校訂の甘さが指摘されます。なかには、文章中ではっきりとその旨を明記してくださる方もおられるようです。私も『戦国遺文武田氏編』は最終第六巻の編纂に携わらせていただきましたから、こうした批判は大変に耳の痛い話です。少しだけ言い訳をさせていただければ、編年史料集の編纂には、無年号文書の年次比定にかなりの労力を必要とします。ところが『戦国遺文』の場合、私費で調査を行っている上に、比較的短期間で刊行を進めることになっていますから、校訂に「割くことの出来る」エネルギーが、やや不十分な面があるのかもしれません。それでも、一度文書を総編年してみることで、様々な知見が得られるわけで、史料集としての価値は高いものがあると信じています。なお、このように書くと『戦国遺文』ばかりが問題であるかのように見えますが、私のみるところ、『山梨県史』も県外文書編などについては、必ずしも校訂が十分とはいえません。大規模な史料集を作る以上、そこにミスが起こりえないなどありえません。ようするに、学術利用にあたっては、原文書・写真で再確認するという、基本に立ち返るべきなのでしょう。

 そうはいいながらも、『戦国遺文』には誤読や誤字脱字の範疇を超えたミスも存在します。第六巻に、正誤表を付けさせていただきましたが、その後明らかになった問題もあります。いずれ何らかの場で正誤を公表しよう、という話は時々出てはいます(実は、わたし自身の論文の註釈で、間違いを指摘したものもいくつかあります)。ただ、直ぐにできる作業ではありませんし、たとえ活字化しても、気がつかれない方も少なからずおられるでしょう。
 そこで、現状とくに問題となりそうな正誤を、いくつか挙げておきたいと思います。『戦国遺文武田氏編』のご利用にあたっては、ご注意いただければと思います。なお、以下の文責は、すべて丸島に帰するものです。

 ◆四巻3011号(311頁)
6行目 但懸田畠諸役者  →  但一国一統之御普請并於懸田畠諸役者
※正誤表にも載せています。一行脱落しているのですが、たまたま文章が通じてしまっているため、気がつきにくいものとなっています。なおこの間違いについては、平山優氏からのご教示を得ました。

 ◆五巻3420号(194頁)
宛所の「快雄法印御房」が脱落
※正誤表にも載せています。なお、脱落してしまっているため、人名索引への掲載は見送らざるを得ませんでした…。残念でなりません。

 ◆六巻3781号(15頁)
1行目 可召集之由候  →  可召集之旨
日付  正月十二日   →  八月十二日
※日付の明確なミスです。八月を一月と誤読した上、戦国期の書状では「一月」とはあまり書かないだろう、ということから校正時に「正月」に直してしまったものです。原典にあたれば、すぐ気付いたミスなんですが…。大反省です。

 ◆六巻4093号(122頁)
※宛所の梅雪斎は、「穴山梅雪斎不白(信君)」ではなく、田村梅雪斎の誤りです。陸奥三春の国衆ですから、そもそも『戦国遺文武田氏編』に収録すべき文書ではありませんでした。

 以後、おいおい追加していくつもりです。
(2008-11-23)
○『信濃』中世特集号
 信濃史学会の機関誌『信濃』10月号に論文を書かせていただきました。
 中世特集号「隣国・他国からみた戦国期信濃」ということで、より具体的には戦国期の特集号となっています。特集論文を記させていただくと、以下の通り。

峰岸純夫 「上杉憲政と村上義清等の反武田「上信同盟」―天文十六〜十七年における―」
西川広平 「戦国大名武田家と市河家」
丸島和洋 「戦国期信濃伴野氏の基礎的考察」
前嶋 敏 「越後永正の内乱と信濃」
村石正行 「直江兼続と信濃侍―中近世移行期の北信濃国衆の動向―」

 ・・・明らかに私ひとりだけ特集内容と齟齬していそうなタイトルになっています。浮きまくりです。本人としては、武田氏麾下の国衆としての伴野氏、という意識で書いたんですが、まったくタイトルに反映する努力がなされていません。副題なりで、明記すべきでした(大反省)。
 実をいうと、国衆に関する個別論文を書いたのは、今回がはじめてです。国衆研究は、人物比定や系譜関係の再確認から始めなければならない場合が多く、今回とりあげた伴野氏(信濃佐久郡の国衆)も同様です。その作業にかなりの紙幅を割いたのですが、結局推定で終わってしまった部分も少なくなく、なかなか確定させることができません。予想していた以上に難しい作業だった、というのが素直な感想です。
 人物比定をする際には、花押の比較検討という基本的な手法を用いたので、花押の拡大写真の一覧を掲載させていただきました。問題は、思った以上にピントが甘い写真があったこと。デジカメで撮影した写真なんですが、花押部分の接写をしなかったものがあったのです。高解像度で全体撮影をすれば、あとで拡大できるだろうと思ったのが大きな間違いでした。解像度そのものは問題ありません。ただ高解像度で撮影すると、手ぶれの影響が出やすく、拡大するとその点が目立ってしまったのです。どれが接写した花押写真で、どれが全体写真から抜き出した花押写真なのか。悲しいかな、一目瞭然です。やはり拡大したい部分は、別途接写する必要があるということなのでしょう。
(2008-11-07)
○MS-IMEは改良されたのか
 日本史の研究者と話している感覚で、他の世界の人と話すとしばしば食い違いが生じるものに、使用するワープロソフトの問題があります。日本史研究者の世界では、一太郎の利用者が比較的多いのに対し、一般的にはMicrosoft Wordが主流だからです。これはWindows時代に入ってからのMicrosoftの戦略と、その結果としてのWordのプリインストールモデルの多さに由来しますが、一太郎との結びつきが深かった、NEC・PC9801シリーズの消滅も一役買っていたりします。
 ところがわれわれ日本史の研究者は、縦書きの文章を書くことが多いですから、本来的にアルファベット圏向けに設計されたWordよりも、一太郎の方が使い勝手がよいわけです。罫線やふりがなといった、日本語にあってアルファベット圏にはない操作を行うと、その差は歴然としています。そのうえ、一太郎には強力な日本語入力用IMEであるATOKが付属しています。特にJIS第二次水準の漢字(つまり旧字)を呼び出す時に、ATOKのほうが操作が楽なのは明らかでした。これが縦書きの文章や、旧字を頻繁に使う文章の書き手(例えば日本史研究者)の間で、一太郎とATOKの組合せが優勢である理由のひとつといえます。
 さて、Microsoft日本法人の元会長が、自身のブログで最近のMS-IMEの変換効率が急激に悪化したことに言及し、Microsoftの開発部門の社員の発言を公開したのは、今年2月のことでした。それはMS-IMEの開発が中国に委託されているという衝撃的な内容を含むもので、ウェブ上で話題になったことは記憶に新しいです。もちろん、中国への委託云々は二次的な問題に過ぎず(日本語として適切ではない単語が登録されているのは問題ですが)、根本的な問題は変換アルゴリズムにありました。
 もともとMS-IMEは、WX2(エーアイソフト社)という日本のIME(当時はFEPといいましたが)をベースに設計されています。WXは、私もMS-DOS時代に利用していましたが、初期状態の変換効率はあまり高くはないかわりに、利用を重ねていく中での学習能力が高いという特徴を持っていました。問題は、この学習をさせるには、出来るだけ長い文章を一度に変換する必要があったことです。短い文節ごとに、変換を確定をさせていく癖のあった私とは、あまり相性がよくありませんでした。それで途中から、ATOKに乗り換えたわけです。
 当然のことながら、WXの特徴はMS-IMEにも引き継がれたわけですが、改良を重ねていくなかで、長文での変換を要求する学習アルゴリズムがどんどん強化されていってしまったようなのです。「ようなのです」というのは、使っていない私には実感がないからですが…。結果的に、短い文節・単語ごとに確定をする人には、「おかしな変換が増える」という結果に陥ったというのが実態とのこと。
 流石にMicrosoftも、今回の騒ぎには慌てたようで、MS-IME2007の変換・学習アルゴリズムを修正したプログラムの配付を開始したそうです。果たしてどれだけ改善されているかは分かりませんが、根本的な設計に関わる問題ですので、そう簡単に直るとも思えません。もっとも私には関係のない話ではあります。何しろ私自身は、Windowsの設定からMS-IMEの登録自体を削除してしまっています。キーボードの操作ミスやアプリケーションの設定で、勝手にMS-IMEに切り替わってしまうことが何度かあり、それに我慢ができなかったからです。
(2008-10-21)
○『甲陽軍鑑』をめぐる雑感
 武田氏を扱う際、どうしても問題となるものに、『甲陽軍鑑』の評価というものがあります。江戸時代に軍学書として評価・流布がなされている書物ですが、本来的な性格(=史料的性格)がどのようなものであったかは、明確ではありません。近年再評価の機運が高まっているとは思うのですが、史料として扱う際にどのように接すべきか、議論の一致をみることは難しそうです。
 たまたま某研究会にて、かなり『軍鑑』を多用した報告を伺う機会がありました。複数の大名を対象とした議論であり、興味深いものがあったのですが、予想通りというべきか、『軍鑑』に対する報告者の認識を問う質問が出されました。確かに武田関係で挙げられていた史料は、『軍鑑』にほぼ限定されていましたから、そのような質問が出たことは、むしろ当然というべきものでした。
 ただ、出された質問を聞いた際、どこか喉に骨が刺さった様な、違和感を憶えたことも確かです。それは報告者は他にも軍記や家譜といった非一次史料を使用していたにも関わらず、何故『軍鑑』だけを取り上げて問題視するのか?、という素朴な疑問でした。確かに『軍鑑』が突出して多かったことは事実なのですが、議論の入り口として取り上げられていたのもまた、別の軍記物であったからです。

 史料に接する際の態度として、一次史料をもとに立論を行うことは当然のことです。さらに進めて、二次史料以下は完全に議論から排除せよという主張についても、尊重すべき研究態度であろうと思います。ただ、当該報告のスタンスは、一次史料から悉皆収集した事例を検討した上で、軍記物を中心とした後年の編纂物で一次史料の不足を補うというものでした。ですから議論すべき問題のひとつは、軍記物類を活用する手法の妥当性にあったと思うのですが、それが『軍鑑』の史料論に代置されてしまった印象を受けたのです。なんというか、後代の編纂史料だから問題なのではなく、『軍鑑』だから問題にされているのではないか・・・。質問者の意図を忖度することはできませんが、そのような思いが湧いてきました。何故ならば、こうしたタイプの質問は、決して初めて耳にするものではなかったからです(だからこそ、私の単なる邪推に過ぎない可能性は高いです)。

 私自身は『軍鑑』を、比較的成立の早い軍記物として捉え、補助的に活用するというスタンスをとっています。到底ここですべてを述べることは出来ませんが、基本的には、時系列的経緯等に問題が多いことは承知した上で、記述内容そのものの事実性を問題にするのではなく、そのような記述・認識が生まれたことを問題視し、議論の俎上に載せる、というものです。実をいえば、当該報告の編纂史料に対する姿勢には、根底の部分で相通じるものを感じました(まったく同じというわけではありませんが)。
 ですから、この質問はある意味で他人事ではありませんでした。もちろん『軍鑑』や編纂史料を利用する際には、何故そのような観点から活用が可能と考えたのか、註記するよう心懸けています。とはいっても、あくまで註記レベルですし、紙幅や報告時間の都合上、省略せざるをえない場合も多々あります。そもそも軍記類の活用法については、方法論がまったく確立しておらず、完全に個人個人の経験則に依存しています。これでは註釈程度の説明では、私の思考をトレースすることは困難です。となれば、最低限自分なりの考えを、何らかの形で文章化して、大方の批判を仰ぐ必要があるのでしょう。ただそうしたことをしたとしても、その対象が『軍鑑』であった場合、果たして意図を汲んでもらえるものなのかどうか。漠然とした不安をおぼえたわけなのです。もっとも現在は高野山の供養帳類に傾注していますから(これ自体史料的性格を論じなければならないので)、軍記類にまではなかなか手が回りませんが…。
(2008-09-18)
○群馬県博の展示と図録
 ようやく今年の夏の調査がすべて終わりました。日数自体が多かっただけでなく、はじめてさせていただく体験が多かったこともあり、精神的にも疲れたというのが本音です。貴重かつ、濃密な時間であったと思います。
 その際、調査でご一緒させていただいた某氏から、『群馬県立歴史博物館所蔵 中世文書資料集』という図録を頂きました。9月6日〜10月5日を会期とする特別展『戦国武将からの手紙―博物館にとどいた中世文書―』の図録を兼ねているとのことです。前ページカラーで、所蔵中世文書の写真が掲載されているわけですから(寄託分は除く)、大変貴重なものです。この場を借りて、御礼を申し上げます。
 古文書を中心とする博物館展示は、減少傾向にあるように思います。そうしたなかでの大規模な中世文書展示ですから、できれば参観したいのですが、会期的に伺えるかどうか微妙なところです(恥ずかしながら、展示情報をまったく入手しておりませんでした)。今月中に仕上げる予定の原稿があと4本、校正2本。3日で一本書き上げれば済む計算ですが、さて、そううまくいくかどうか・・・。
(2008-09-17)
○Google Chrome
 公開されたばかりのブラウザ・Google Chromeのベータ版(0.2.149.27)をインストールしてみました。このサイトの表示に関しては問題ないようです。少し操作に癖がありますが、プラグインの類が入っていないせいか、確かに動作は軽快。ヴァージョンがまだ0.2ですから、あくまで自己責任での利用となる代物ですが…。まあ、IEなんかは製品版がベータ版みたいなもんですから、似た様なものかもしれません。ただ「強制自動アップデート」は、将来を考えるとちょっと懸念材料。最近の風潮とはいえ、このあたりにGoogleらしさが現れている気がします。
 私自身は国産ブラウザ・Lunascapeの旧ヴァージョン(未だに1.4.1)を愛用していますので、そうそう乗り換えることはないと思います。Lunascapeの最新バージョンは4.7.4ですが、旧版のほうが余計な機能がなくて使いやすいんですよね。ちょっと動作が不安定になりつつありますが…。
(2008-09-04)
○高野登山
 8月末に、毎年恒例の高野登山をしてきました。本年も、なかなか充実した調査となりました。既に何度か拝見した史料でも、改めて見直すとまた違った知見を得ることが出来るということを実感。それだけ自分が成長した結果だと思いたいのですが、今までこんなことにも気がつかなかったのか、という忸怩たる思いもあり。
 ただ出だしから豪雨による新幹線遅延トラブルに見舞われたこともあり、到着した段階で既にぐったり。まだ調査疲れが抜けきれない感じがします。こんなことではいけませんね。
(2008-09-03)
○文献目録移管完了
 ようやく「武田氏研究文献目録」の移管作業が完了しました。戦前から1979年までの分についても、ひととおり閲覧が可能です。
 あわせて、近年刊行された新人物往来社の『すべて』シリーズ中の論考についても、「目録」に掲載しました。ただ全部をリスト化したわけではなく、小説家の書かれた文章や、文化財保存に関する提案などについては除外しています。このあたりの線引きはかなり恣意的なものですから、今後追加をしていく可能性もありますが…。
(2008-08-18)
○このサイトについて
 本サイト管理人の丸島和洋(まるしま・かずひろ)です。突然ですが、ウェブサイトを開くことにしました。
 直接の動機は、2007年末まで柴辻俊六先生が運営されていたコンテンツの引継ぎにあります。柴辻氏のサイトには、「武田氏研究文献目録」というコンテンツがありました。まるしまは甲斐武田氏を研究素材の中心に据えていますから、ずいぶんお世話になっていたのです。ところが、残念なことに柴辻先生がサイトを閉鎖されたため、「文献目録」も宙に浮く形になっていました。
 それだったら自分で引き継いで運営してみようと思い立ち、柴辻先生にご相談したところ、ご快諾をいただくことができたというわけです。
 他のコンテンツについても考えていないわけではないのですが、いきなり手を広げるのもなかなか大変ですから、当面は「武田氏研究文献目録」を中心として、サイトを運営していこうと思います。なお、データの形をまるしまが管理しやすい形に直しながら掲載をしていますので、まだ1980年以降の分しかできあがっていません。それ以前の年代や、細かい修正などは、おいおい行っていこうと思います。
 今後とも、よろしくお願いいたします。
(2008-08-07)