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雑記

2017年2016年2015年2014年2013年2012年2011年2010年2009年2008年
○『歴史REAL 織田信長』刊行
 『歴史REAL 織田信長』(洋泉社MOOK)が刊行されました。私は滝川一益の項目を執筆しています。当初の先様のご要望は、「東国支配中心(武田氏滅亡以後)」ということだったのですが、それだと柴さんの研究の丸写しに陥りそうだなぁと考えながら書いてみると、むしろそれ以前、伊勢における一益の位置づけがメインになりました。もうちょっと掘り下げてみたいところで、いいお話しをいただいたと思っています。執筆陣も、金子拓さんを中心に手堅い顔ぶれですので、是非御味読ください。

 さて、春期講座の開始が近づいてきましたので、まとめて再掲します。早稲田のエクステンションは、講座が開始されると「受け付け終了」云々とHPに書かれますが、電話受け付けは継続しています(ただし、受講料は全回分必要)。募集する気があるんだかないんだか…。

●NHK文化センター青山教室
(1)「中世の古文書を読む〜武田勝頼編U〜」
 全6回・2018年04月19日(木) 〜2018年09月20日(毎月第3木曜・15:30〜17:00、8月のみ第4木曜)
 引き続き武田勝頼の出した書状や命令書を読んでいきます。現状の進み具合ですと、このシーズンで長篠合戦に入ることになるかと思います。

(2)「戦国社会への招待〜戦争・政治・習俗〜」
 全6回・2018年04月19日(木) 〜2018年09月20日(毎月第3木曜・13:00-14:30、8月のみ第4木曜)
 戦国時代の様々な事象について、最新の研究成果を掘り下げて解説をしていく講座です。最初のシーズンは、4月)地震と戦争、5月)刀狩り、6月)川中島合戦、7月)長篠合戦、8月)湯起請と鉄火起請、9月)高野山信仰の広がりという構成です。

●早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校
(1)「古文書からみる戦国時代―武田信玄の書状を読む 川中島合戦編―」
 全10回 ・04月11日 〜 06月20日(毎週水曜・13時〜14時半)
 戦国時代の古文書の崩し字を読む講座です。前回(2017年度冬期講座)に引き続き、武田信玄の出した書状や命令書を読んでいきます。
(2)「人物でたどる戦国史―史料からみた戦国武将の実像・応仁大乱編―」
 全10回 ・04月11日 〜 06月20日(毎週水曜・15時〜16時半)
 同時代史料をもとに、小説や講談・ドラマ、あるいは研究において定着してしまった虚像を考え直したり、あまり馴染みがないけれど戦国時代を考える上で重要な人物の紹介を行います。こちらは完全な講義形式になります。今回は、応仁の乱で活躍した人物を取り上げます。ただ従来講座との関係で、朝倉孝景などは別シーズンで取り扱います。

●朝日カルチャーセンター横浜教室
(1)「早わかり 1日集中 戦国時代」
 全1回・2018年4月14日(土) 13:30-17:00(途中休憩あり)
 戦国時代の概説講座で、完全な講義形式になります。

●武蔵野大学生涯学習講座
(1)「キリシタン大名の実像―肥前有馬・大村氏を中心に―」
 全1回・2018年7月28日(土) 13:00〜14:30 千代田サテライト教室
 連続講座「第五弾 武士の権力論」のひとつです。この連続講座は、好きな講座だけ受講することが可能です。こちらは、総論または特論をお話しする講義です。
 ※当初は7月14日(土)を予定しており、配付パンフレットもそのようになっておりますが、日程が変更となりました。御迷惑をおかけします(2018-02-25追記)。
(2)「戦国期の人身売買―「乱取り」という奴隷狩り―」
 全1回・2017年7月25日(水) 10:00〜11:30 三鷹サテライト教室
 連続講座「史料から日本の歴史を考える 第五弾」のひとつです。こちらも、好きな講座だけ受講することが可能です。(1)と違い、古文書を解説しながらそこから何が読み取れるかをお話しする講座です。なお、私の講座は時間が変則的ですので、ご注意ください。
(2018-04-06)
○論文ネット公開の難しさ
 少し前の事になるが、一般向けの原稿をひとつ入稿した。図録以外では、結構久しぶりかもしれない。その際、ちょっと思うことをまとめておこうと思って、一ヶ月以上御蔵入した文章がある。いささか不用意だと思って削除したのだが、思いもよらない事態に巻き込まれたので、批判を覚悟で公開しておく。

 ここ数年、論文のネット公開が一気に進展した。これは史料も同様であり、私のように論文を自宅で書く研究者にとっては非常に便利である。論文発表の媒体は、ざっくりと学会誌、紀要、書籍に大別され、そのうち紀要論文の公開が進んでいるのが現状である。学会誌・書籍はそれぞれの運営維持のため、困難だが(書籍についてはその後動きがあったようである)、ネット購入が容易になっているので、さほど問題はない。なお最初に動き出した紀要に関しては、媒体の性質上入手困難なものが多い上、図書館の収蔵スペースという物理的問題があった。

 そのためもあり、歴史愛好家の方が論文を読まれ、ネットなりに感想を書かれることが増えた。もともと戦国と幕末は、雑誌や専門書にも目を通す方が多かったから、当然の帰結だが、以前から危惧していたことがやはり起きてしまっているように思う。以下は、平凡社『勝頼』のあとがきで「危険性を孕む」と曖昧に書いたことの中身である。

 平井君が著書『兵農分離はあったのか』で、読者の意外な反応として、「自分は騙されていたというものがあり、困惑した」云々という話を書いている。歴史学が人文科学である以上、史料の読み直しや新しい史料の発見によって、研究成果は日々塗り替えられていく。また歴史上起こった「事実」はひとつだが、それをどのように位置づけるかが歴史学研究である以上、確定した「事実」であっても、その扱いは研究者によって異なる。

 同時に、義務教育段階や、高校段階の教科書は、それぞれの教育段階に応じた記述がなされている。大学の講義で教えるような内容を、基礎知識のない相手にいきなり話すわけにはいかない。物事には手順というものがあるわけで、「教科書に騙された」などとは思わないで欲しい、ということなのだが、なかなかそのように受け取ってはもらえない。

 私自身も講談社選書メチエを書いた時、「選書は新書よりも高い内容が求められるのに、文章が平易すぎるのは読者を馬鹿にしている」という感想が来て困惑した。最初に単著の形で書いた一般書だったから、いささか「感想を気にしすぎた」きらいがあったが…。なお、専門書の帯に「どうしてこの絵を選んだのか説明がないのは怠慢だ」という非難をしてくる方もいるようだ。答えをいえば、私にとって最初に出したカバー装の本であり、出版社とデザイナーに任せていた。このあたりは、メチエの表紙の武田信玄像が指定と違っていたことに気がつかなかった(画像を渡していたので、間違いは起こらないと思い込んでいた)ところと似ているのかも知れない。ようするに、「最初の本だからどこまで口を挟んでいいかわからなかったし、楽しみにしていた」というところである。これ以上何かいうようであれば、こちらとしては対応を考える。

 話を戻そう。ネットにおける論文公開は、9割の功に、1割ほどの罪が混ざるように思う。学生がネットでしか論文を探してこない、といった類いの話では無い。第一の問題点は、私などは特にそうだが、著書にまとめる段階で論文は書き直す、ということである。したがって、とっくに著書に収め直した論文の雑誌段階の「旧稿」の感想を目にすると、「いや、その見解はもう修正しているんだけど…」となる。

 しばしば誤解されるが、論文というものは、100%完成したものを出すわけではない。学術雑誌の投稿規定に「投稿は完成原稿で」とあるのは、「採用決定後に、内容や文章の大幅な書き直しをするようなものは駄目ですよ」という意味で、「批判の余地のない完璧な論文ではないと受け付かない」というものではない。
 そのために査読制度があり、査読をパスした後に書き替えられては査読の意味がないのだ。なおこれまたしばしば誤解されるが、査読とは論文の正しさを保証するものではなく、そこで示されている論拠をもとに論旨が通っているかどうかを審査するもので、論文の完成度を高めるためという要素が強い。だから「書き直し再投稿」という審査結果が存在する。同時に、査読者の意見と異なっていても、論文として成り立っているものを落とす事はルール違反となる。

 これまた誤解を招きそうだが、「論文の完璧さ」にこだわると、永遠に論文はかけなくなる。完璧な論文など、存在しないからである。だから私は、論文刊行直後しばらく、史料や先行研究の見落としがないか、不安に陥るのだ。しかし、それが現実というものである。
 議論として筋が通っており、一定の反論にも堪えうると判断した段階で、論文は投稿・発表するものである。一般に「8割完成で出すもの」といわれる。その後、批判を受けたり、自身の研究の進展で論旨の修正が必要になるとなったら、著書に収める段階で修正する。特に紀要論文となれば、尚更である(穴埋め原稿を求められることが多いし、学会誌に比べて字数制限などをあまり気にせず自由に書ける)。だから著書段階で、頂戴した批判に対する修正や反論を加え、論文としての完成度を高める。著書再録後であれば、別の論文で論旨の修正や反批判を加えるということになる。いずれにせよ、著書に収められた内容が、その研究者の見解であることが一般的だ。

 しかしネット上には、雑誌段階の「旧稿」ばかりが流通している実態がある。もちろん一回発表した以上、文責を負わねばならない事はいうまでもないが、既に修正を加えた見解を、何度も説明し直すというのはかなり疲れる。

 また論文というものは単独で存在するわけでなく、複数の論文で議論を進める。それをまとめた結果が著書になるのだが、最近どうもこの点の理解が研究者間でもおろそかになっているようで、ひとつの論文を読んだだけで批判している論文を目にする。「それへの回答は別稿に書いていたはずだよな、あの人は」と思う事が増えており、自戒の念を強くしている。だからネット上で「旧稿」が拡散している状況は、何とも恥ずかしいのである。なお昔この点を指摘したところ、逆ギレをした族がいて、「まあそんなもんだろう」というのが感想ではある。

 第2の問題点は(こちらのほうが個人的には重要なのだが)、論文の読み方が身についているか、ということだ。私がはじめて自分の金で購入し、腰を据えて読んだ学術書は、永原慶二『戦国期の政治経済構造』(岩波書店、1997年)であった。これは学部2年在籍時、講義で出された夏休みのレポートを書くためである。古代から近現代まで網羅された課題図書から一書を読んで自分の見解を述べよといったような課題であったと思う。もっとも学部2年の話である。永原慶二先生という大先達の著作一冊を自分の言葉で整理することはできず、部分的なレポートになったと記憶している。今読んだら赤面ものであることは断言できる。

 ただそのレポートのデータを探し出すまでもなく、同書を開くだけで頭を抱えてしまう。当時の私は、読書に際して重要箇所に線を引くことを自身に課していた。問題は線を引いた場所で、主として「自分が知らない話」に傍線が引いてあるのだ。
 何が言いたいかというと、「この本が主張している内容」とズレがあるのだ。つまり当時の私には、まだ「先行研究整理→問題点の指摘と課題の提示→本文における論証→結論の提示」という論文執筆の作法が身についていなかった。だから、読む時には「自分の興味がある話」にばかり目がいってしまっている。

 ネット上で眼にするコメントは、非常にありがたいものだが、同時に自分が学部生時代に書いたレポートを思い起こさせる。一言でいえば、「その論文はそんなことを議論するために書かれたものではない。だからその点について指摘されても意味がよくわからない」というものだ。もっとも、論文というものはある種生き物で、別の角度から再評価されることはいくらでもあるから、新たな視点をもたらしてくれることは有難いことではあるが…。
 実際ネット公開されている私の論文について、同じ歴史学であっても、別分野(東洋史とか西洋史)の研究者が、SNSつながりがあるからと目を通してくれた感想は、「難しい」というものであった。私も東洋史や西洋史、国文学・国語学の論文を読む事はあるが、やはり難しい。議論の前提を共有していないから、そこから引き出せる情報に限界がある。ネット上の議論では、この問題がどうしても付きまとう。なお、私はめったに海外の研究者の名前を引用しないが、それはその論文を読んでいないからではなく、消化し切れているか慎重であるためだ(『武田勝頼』がはじめてのはずだが、まだ論文で引用するかは躊躇する)。

 私が学会発表や講座・講演の内容をネットに書かないでほしいといっている理由のひとつもこれで、特に学会発表は、論文のさらに前のたたき台だから、荒削りなものなのだ。試食会で食べた商品の内容を公開することを許容する企業は、どこにもないだろう。それと同じである。著作権とも関わる問題で、既に講演内容の無断ネット公開については、「認められない」という判例があったと記憶している。

 誤解を招くかも知れないが、なにも研究者以外は論文を読むな、感想を書くなという話をしているつもりはない。そうでなければ、岩田書院や戎光祥出版で論文の再録論集のお手伝いなどをしない。ただ上記ふたつの難点があわさると、いささか面食らう、というのが正直な感想だ。

 この点は、一般書も変わりは無い。研究者は一般書について、新聞書評などを除けばどうこうとコメントすることはまずない(学術誌の書評では取り上げない)。また日本史学は専門書であっても、批判的な書評を避ける傾向が強いから、一般書なら尚更だ(この原稿は、呉座君の本が出る前に書いたものである。なお、現時点で彼の本は読んでいないし、多分読まないと思う)。これは逆に、一般書への「不当な評価」への対応も困難ということを意味する。本人が対等な場で反論できないだけでなく、周りが名誉挽回することも難しいのだ。

 それぞれの本は、各研究者が自身の問題関心に基づいて、自身の研究成果をもとにまとめている(残念ながら、そうでないものもあるが…)。だから「私の興味と違う」とか、「私の知っている話が書かれていない」「私の知っている史料を使っていない」というコメントに、心を折られる若手は少なくない。酷いものになると、「もうこの前提になっている論文は読んだから、不要だった」というコメントを眼にしたこともある。ここまでくると、「貴方ひとりのために書いているわけではないのだから」と代弁してあげたくなる。私自身は、もうエゴサーチをしなくなっているが、Amazonあたりに書かれると嫌でも眼に付く。

 また、「どうしてこの史料を使ってこう主張しないのか」と示されると、学問に誠実であろうとすればするほど、かえってその話はできなくなる。現状日本史学は、ウェブサイト上で、しかもハンドルネームを使って書かれた文章を引用することをまだ許容していない。URLの引用がようやく認められつつある程度だが、多くは公的機関のものである。だからこれは歴史学界側の課題となるが、プライオリティ(先取権)を尊重すると身動きが出来なくなってしまう。一般書なら話は別となるが、それが他の研究者にどう映るかを考えると、心理的ハードルは大きい。
 私の場合、「論文化しませんか?」とお声がけする事もあるが、論文の形にまとめあげるのはやはり相当難しいという現実もある。一般誌とは書き方が違うからだ(逆も真であるが)。それぞれの研究者は様々な問題関心を抱えており、世間の方が思っている以上に、個々の史料は共有されていない。たとえば豊臣秀吉の発給文書集はようやく第四巻(小田原合戦まで)が刊行されたばかり、石田三成にいたっては史料集すらないのだ(『彦根市史』が部分的に集めたのと、谷氏が編著『石田三成』で目録を作ったのが最新の成果)。

 したがって「どうしてこの点が書かれていないのか」という問いへの回答は、「その問題について、まだ関心が集まっていないか、問題があるとわかっていても他に課題が多く、リソースがさけていない」というものが一番多い。現状、歴史学界は深刻な人手不足にあえいでおり、学会運営にすら支障をきたしている。専任教員が大学で抱えている仕事量の増大については、言うまでも無い。

 もしその著者の論文を読んでいるのであれば、その人はきちんと研究を進め、自分の論文を踏まえて一般書を書いていることを意味する。批判をするのは自由だが、同時に褒めるところは褒めてあげてほしい。そうしなければ、良質な研究者であればあるほど、一般書執筆を敬遠するようになり、そうでない書き手ばかりが残ることになる。現状でも、一般書執筆は推奨されてはいない現実があるのだ。私はむしろ、そうした未来の到来を懸念する。

 ・・・さて今回、私が御蔵入にしたつもりのこの原稿を引っ張り出した理由もそれで、「北条と徳川間の取次」について論じた論文で、「北条と今川間の取次」の話がおかしい、という指摘を受けたことにある。ブログ名は「自説に好都合な史料だけ開示した論文」とあり、「奇妙な論文」「Twitterのフォロワからご教示いただいた論文で、驚くようなことがあったので記録しておく」と続く。最後に、「なぜ史料を紹介しなかったのか」として、ようするに自説に都合がよいからだ、と結論づいていた。さらにいえば、ツイッターで「ぱっと見で判る陰謀論より、こういうケースのほうが危険な気がする」という解説まで付せられている。

 驚いたのはこちらで、そもそもこの論文は「北条と今川間の取次」を論じてはいない。不都合な史料を引用していないがごとき批判を受けたが、該当箇所は北条氏の他大名への取次一覧を作った際に、注釈で典拠史料を書き込んだに過ぎず(本文は数行かな)、ここでは「そもそも史料の引用を行ってはいない」し、作成した表を見れば一目瞭然だが、本稿の結論に沿う形にはなっていない。「なっていないからこそ、事例を増やそうと都合良く操作したのでは?」といういわゆる「邪推」が浮かんだので、コメント欄で抗議をした上で、論文の執筆意図を説明した。その上で私の見解に賛同するか、納得できないと思うかは別問題」として、純粋な意図を糺した。

 それに対するレスポンスはあり、表題を「論文内で史料開示が限定的であるケース」に変えること、最後の憶測に基づく箇所は削除することは行われた。しかしその「危険な気がする」対象は私ではなく「自戒」というニュアンスということで、コメント内では特に誤解を招いた(ということにしておこう)ことへの謝罪もなく、ツイッターでもごく簡単な軌道修正コメントが成されただけである。普通こういう場合、リンクが貼られた当該ツイートそのものを削除・投稿し直した上で、ひとことあってしかるべきだと思うが…。

 やはりここで問題となるのは非対称性であろう。上にも述べたが、きちんとした研究者は専門の訓練を受けていない論文への言及は控える傾向が強い。そのために、一般書があるし、私も積極的に執筆をしている。ただ一般の方が専門の論文の世界に足を踏み入れるのは、相当注意したほうがよい。そもそも学術論文は、一般読者を想定して書かれていない。一つの論文を読むには、前提となる論文を読む事が不可欠の作業となることは、理解しておいてもらいたい。
(2018-03-25)
○講座開講日の変更
 武蔵野大学の生涯学習講座「武士の権力論」でやらせていただく「キリシタン大名の実像―肥前有馬・大村氏を中心に―」が、諸事情により日程変更になりました。

 変更後の日程・2018年7月28日(土) 13:00〜14:30 千代田サテライト教室

 既に申し込みいただいた方には御迷惑をおかけしますが、申し訳ありません。
(2018-02-25)
○春期講座のご案内(2)
 春期の一般向け講座の追加のご案内です。NHKカルチャーは、新規講座を立ち上げました。

●NHK文化センター青山教室
(1)「中世の古文書を読む〜武田勝頼編U〜」
 全6回・2018年04月19日(木) 〜2018年09月20日(毎月第3木曜・15:30〜17:00、8月のみ第4木曜)
 引き続き武田勝頼の出した書状や命令書を読んでいきます。現状の進み具合ですと、このシーズンで長篠合戦に入ることになるかと思います。

(2)「戦国社会への招待〜戦争・政治・習俗〜」
 全6回・2018年04月19日(木) 〜2018年09月20日(毎月第3木曜・13:00-14:30、8月のみ第4木曜)
 戦国時代の様々な事象について、最新の研究成果を掘り下げて解説をしていく講座です。最初のシーズンは、刀狩りや長篠合戦、鉄火起請などを扱います。各回タイトルは、リンク先をご参照ください。

 今日からWeb申し込みが開始されました。今月21日より、電話申し込みも受け付けるとのことです。なお、途中からの受講も可能です。

 他の講座とあわせて、よろしくお願い申し上げます。新規講座は夜間も考えたのですが、受講生の数が読めない、とのことで昼に持っていきました。たしかに、以前早稲田で夜間講座をやった時も、なかなか人がこなかったんですよね。
(2018-02-16)
○春期講座のご案内(1)
 春期の一般向け講座の案内がちらほらと出始めましたので、ご案内いたします。

●早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校
(1)「古文書からみる戦国時代―武田信玄の書状を読む 川中島合戦編―」
 全10回 ・04月11日 〜 06月20日(毎週水曜・13時〜14時半)
 戦国時代の古文書の崩し字を読む講座です。前回(2017年度冬期講座)に引き続き、武田信玄の出した書状や命令書を読んでいきます。  
(2)「人物でたどる戦国史―史料からみた戦国武将の実像・応仁大乱編―」
 全10回 ・04月11日 〜 06月20日(毎週水曜・15時〜16時半)
 同時代史料をもとに、小説や講談・ドラマ、あるいは研究において定着してしまった虚像を考え直したり、あまり馴染みがないけれど戦国時代を考える上で重要な人物の紹介を行います。こちらは完全な講義形式になります。
 今まで、だいたい1年で一回りするような形で講座を組んできましたが、2018年度から完全にリニューアルすることにしました。応仁の乱からリスタートです(途中、従来の講座があるシーズンが混ざります)。2018年度はなかなか有名人までいかないか…な。なおできる限り従来講座と重複受講できるように、従来講座はいじらない方向にしています。なので朝倉孝景などは、別講座(従来と同じもの)内でお話しする予定でいます。

※どちらも、現在は受け付け準備中です。ウェブ・電話での一般申し込み受け付け開始まで、しばらくお待ち下さい。
※講座が開始すると、ウェブ上では「受け付け終了」と表示されますが、電話申し込みは継続して受け付けているそうです。ただし、受講料は変わらないとのこと。

●武蔵野大学生涯学習講座
(1)「キリシタン大名の実像―肥前有馬・大村氏を中心に―」
 全1回・2018年7月28日(土) 13:00〜14:30 千代田サテライト教室
 連続講座「第五弾 武士の権力論」のひとつです。この連続講座は、好きな講座だけ受講することが可能です。こちらは、総論または特論をお話しする講義です。
 ※当初は7月14日(土)を予定しており、配付パンフレットもそのようになっておりますが、日程が変更となりました。御迷惑をおかけします(2018-02-25追記)。
(2)「戦国期の人身売買―「乱取り」という奴隷狩り―」
 全1回・2017年7月25日(水) 10:00〜11:30 三鷹サテライト教室
 連続講座「史料から日本の歴史を考える 第五弾」のひとつです。こちらも、好きな講座だけ受講することが可能です。(1)と違い、古文書を解説しながらそこから何が読み取れるかをお話しする講座です。なお、私の講座は時間が変則的ですので、ご注意ください。

●NHK文化センター青山教室
 準備中です。後日ご案内しますが、新規講座を立ち上げます。

●朝日カルチャーセンター横浜教室
(1)「早わかり 1日集中 戦国時代」
 全1回・2018年4月14日(土) 13:30-17:00(途中休憩あり)
 戦国時代の概説講座です。タイトルはあちらの要望によります。完全な講義形式です。何でも横浜教室は、古代以外はなかなか関心が集まらないとのことで、意外な気がします。
 明日から受け付け開始とのことです。

 それから『中日新聞』の安城市松平シンポでの萩原大輔氏報告紹介「第1次上田合戦 「家康と連携」新解釈」にコメントを出しました。ばっさりきってしまいましたが、記者の方が理解のある人で助かりました(無理なコメントを求められることが多いのです)。
 紙幅の関係で省略されていますが、「成政との連絡役の家臣」つまり大久保忠世はもともと佐久郡小諸城代として川中島表=対上杉氏最前線の責任者でした。真田が上杉に寝返った結果、徳川との国境が小県まで動きましたから、彼が対真田=対上杉の軍事指揮を執るのはごく自然な流れだということです。
 そもそも大久保は、真田昌幸が家康に服属する際の取次役でもありました。真田謀叛となれば、第一義的な責任が大久保に降りかかります。こういう場合、取次役が責任をとって軍事指揮を執る事が戦国期の通例です。また家康自身は、秀吉の動向を気にして動けなかったこともあり、第一次上田合戦では甲斐衆(平岩・鳥居)・信濃衆(大久保)を派遣したという流れになります。
(2018-02-12、02-25追記)
○『武田氏研究』57号刊行
 先週末〜今週頭にかけ、沼田・吾妻に文書調査に行ってきました。色々な方に御世話になり、様々な発見がありました。感謝しきりです。

 『武田氏研究』57号が刊行されました。発行日は2017年12月20日になっていますが、実際の刊行は2018年1月末です。予定より遅れてしまいました。そのうち、取り扱い元である岩田書院のウェブサイトや、ジュンク堂書店などから購入できるようになるかと思います。

甲斐国初期金山開発の様相―一五世紀後半〜一六世紀前半を中心に―数野雅彦1
山梨県の中世石仏―中村右近丞に係わる諸尊ほか―坂本美夫14
沼田衆恩田越前守家文書の紹介と検討黒田基樹29
〔史料紹介〕諏方勝頼・望月信頼の岩櫃在番を示す一史料丸島和洋41

 数野論考は、史料のない16世紀前半以前の甲斐金山について、丸島が以前紹介した高野山成慶院供養帳から、存在を実証したもの。坂本論考は、北杜市の中村右近丞という武士にまつわる石仏についての分析。黒田論考は、館山市立博物館所蔵「恩田家文書」の紹介。同館図録で一部が紹介されたことがありましたが、本格的な分析ははじめてです。なお、同文書群は昨年同館寄託から寄贈になったとのこと。全点写真つきです。
 拙稿は、古書店売立目録に掲載されていた北条氏康書状(小山田信有宛)の紹介。史料の所蔵の性格上、写真はなしです。第二次国府台合戦関係の書状なのですが(年次比定はこれによる)、「四郎殿・三郎殿」を筆頭とする武田勢が「岩櫃」に在番している旨が記されている点が注目されます。永禄7年(1564)2月のものなので、岩櫃城の初見史料ということになりました。
 ただ、状態がかなり悪く、写真から無理して判読したので、誤読があろうかと思います。また望月信頼の法名について、冒頭の「捐館」は「死去」の敬語であって法名の一部ではないというご指摘を早速頂戴しました。不勉強を恥じるばかりです。謹んで訂正いたします。

 今日は亡父の十三回忌でした。あの時はちょうど『戦国遺文武田氏編』6巻の編集が佳境であった上、論文や口頭報告も複数抱えており、葬儀や相続・会社関係の処理を差配しながら、よく体がもったなと今更ながら思うのですが、精神面を仕事に逃避させる形でバランスをとろうとしていたのかもしれません。
 歴史好きな菩提寺の副住職に対し、武田信玄の預修法要や、室町期の四十九日の繰り上げ事例について雑談をしながら、ふとそんなことを思い出しました。
(2018-02-10)
○「新九郎、奔る!」雑感
 体調を崩したところに、思いがけない事態に遭遇し、完全にダウンしています。

 そんななか、心のオアシスとなったのが、ゆうきまさみ先生の新連載「新九郎、奔る!」(『月刊!スピリッツ』)。「北条早雲」こと、伊勢新九郎盛時=早雲庵宗瑞が主人公で、一読したところ最新の学説(家永・黒田)がもとになっていますね。開始はなんと文正元年。第二回タイトル予告が「文正の政変」というのも凄いです。

 ゆうき先生は『パトレイバー』以来のファンということもあり(あの作品はゆうき先生独自ではないですが、漫画版が一番好きです)、純粋に楽しみにしています。武家言葉に横文字が出てくるのは、ご愛敬(笑)。
(2018-01-31)
○『古文書研究』84号刊行
 『古文書研究』84号が刊行されました。今号より、取り扱い元が吉川弘文館から勉誠出版に変更となります。それに伴いまして、表紙の色が茶系統から緑系統となり、デザインもいくつか変更となっています。吉川弘文館様には、長い間大変御世話になりました。

明応年間における備前西大寺の復興造営―古文書と縁起のあいだ―苅米一志1
備前国西大寺における縁起絵巻群の形成と保持川崎剛志16
鎌倉末期当寺領播磨国矢野荘の成立―後宇多法皇による寄進理由を再考する―赤松秀亮27
「銘尽(龍造寺本)」から見える中世刀剣書の成立とその受容―申状土代の裏に書写された現存最古の刀剣書―吉原弘道42
天正四年洛中勧進の特質に関する一考察長崎健吾75
南部信直の元服書について熊谷隆次96
研究ノート
家康「忠恕」の印章―家康御内書成立前史―藤井讓治115
地域と古文書
上田市における古文書解読とその展開尾崎行也129
随筆
新発見の侍所頭人今川貞世請文生駒哲郎134
研究余滴
東寺観智院賢賀と五大虚空蔵護摩供西弥生137
書評と紹介
石野弥栄著『中世河野氏権力の形成と展開』山内譲139
彙報 平成二十九年度新指定文化財紹介142
口絵解説 京都国立博物館所蔵 伏見天皇宸翰消息羽田聡149

 ぎりぎりで永青文庫の展示に行く事ができました。何というか、図録がないのが非常にもったいない(機関誌で特集号が組まれていますが)。新出文書があったばかりか、解説文がなかなかの力作で、あれ自体を載せてほしいレベルです。「細川家文書」を読み込みたいという意欲にかられました。

 余暇。「オリエント急行殺人事件」も間に合いました。オリエント急行の走行そのものがもの凄い迫力。どうもポワロというとデヴィッド・スーシェ版をイメージしてしまうのですが、「何故か挿入されるアクションシーン」もまあありかな、と。当たり前ですが相当端折られているので、原作未読の方がどれくらいついていけるのか(たとえば「傷跡」の説明は不足に過ぎる)と思いましたが、スーシェ版の「オリエント」はアレンジが結構入っている回なので、総体的に見るとこちらのほうが原作に近い部分もあり、両方みたほうがよい、というところでしょうか。

(2018-01-28)
○謹賀新年
 明けましておめでとうございます。さっそくながら、新年に対応できるよう、XSLを書き替えました。毎年、どうしてもこれが億劫になります。

 今期冬の公開講座の御知らせを載せておきます。

●早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校
(1)「古文書からみる戦国時代―武田信玄の書状を読む―」
 全8回 ・01月10日 〜 02月28日(毎週水曜・13時〜14時半)
 戦国時代の古文書の崩し字を読む講座です。今回から、武田信玄の発給文書を連続して読んでいきたいと思います。NHKカルチャーが勝頼なので、こちらは信玄です。8回だと、晴信時代の途中で終わる予定です。
(2)「人物でたどる戦国史―史料からみた戦国武将の実像・群雄割拠編―」
 全8回 ・01月10日 〜 02月28日(毎週水曜・15時〜16時半)
 同時代史料をもとに、小説や講談・ドラマ、あるいは研究において定着してしまった虚像を考え直したり、あまり馴染みがないけれど戦国時代を考える上で重要な人物の紹介を行います。こちらは完全な講義形式になります。

 元日はのんびりと「風雲児たち」を見ていました。吉川プロデューサーから、「時代考証の突っ込みはなしで」と冗談交じりに言われていたのですが、私は江戸時代中期、それも文化面については不勉強もいいところですので、何か偉そうなことをいえる立場ではありません。純粋に、楽しんで視聴していました。やはりテンポがいいですね。

 劇中、前野良沢がオランダ語を翻訳する際に、新たに漢語を作るシーンが繰り返し出てきました。これこそ、明治以降に本格化する作業でして、欧米言語の翻訳の過程で新たな漢語が生まれていきました。実は「時代考証」作業の最大の難関がこれでして、「いかにも時代劇にふさわしく、重々しく聞こえる漢語は、実は明治の翻訳語」というのが結構あるのです。それを外して、かつ「時代劇に不慣れな世代」を意識して台詞の直しをすると、結構選択肢が狭くなるんですよね。これが一番の悩みどころです。

 そのあたりのさじ加減を考える上で、NHK内部の時代考証担当大森さんの御著書が大変勉強になります。素直に読み物として面白いので、ご一読をお勧めします。

 「時代劇演出の歴史」といったらよいのでしょうか。考証と作劇のせめぎあいについて、三猿舎の安田清人さんの連載コラムをまとめた本がこちら。これも気軽に読めると思います。

 「時代考証」というと、実は「まだ生きている人がいる」時代のほうが難しくなります。ようするに、近現代ということですね。これには2つの理由があります。

 ひとつは、視聴者自身の体験との齟齬。ただ実は日本全国おなじ文化かというとそうでもないので、作劇上念頭においている地域では考証上問題がなくても、違う地域で生まれ育った人からすると違和感が出る、ということがあるのだろうと思います。
 自分の経験で言いますと、亡父の会社の残務処理で、地方の方に連絡をとったことがあります。その際、いわゆる「方言」が電話越しでは上手く聞き取れず、困惑しました(対面では問題なかったのですが)。幸い、電話相手の近隣(隣村だったかな?)出身の方がいたので、仲介を御願いしたのですが、複雑な話であったことも手伝って、やはりよくわからないという。やむを得ず、郵便でやりとりをすることになりました。これは言葉の問題ですが、その背景には当然文化の違いがあると想像されるわけです。

 もうひとつは、制作スタッフが「当たり前」と認識してしまっていること。たとえば戦国時代のドラマを作る際には、「これは当時あったのかな?」という確認は意識的に行われます。それが時代考証への問い合わせとなりますし、逆に時代考証ができあがった映像をみて「次回への注文」を出すことも容易です。もちろん、それが反映されるかどうか、というのはまた別の問題となりますし、「時代劇」としての経験の蓄積と、歴史学の進展との差違というのも当然でてきますが。「真田丸」でいえば、書状の様式や、百姓の帯刀が該当します。

 ところが年代が近すぎると、「当たり前」と思っていることが増えますから、それに確認作業の必要性を感じることは非常に難しくなります。私などでは、学生との会話で認識の齟齬が生じて、はじめて気がつく、という感じです。電子記録の保存について講義をしている時に、相手がフロッピーディスクを見たことが無い事に思い当たる。となると、1990年代の話でも相当きめこまかいチェックが必要になることは容易に想像できるわけですが、果たしてすべてに行き届くかなぁ?という素朴な疑問が出ます。

 ネタバレになるので詳細書きませんが、「僕だけがいない街」のネットドラマ版に、原作と話を変えているところがありました。原作段階から出ていた疑問点への対処だと思うのですが、私の記憶が正しければ、「時代考証」的にはどうだろうか、という気がしています。原作でも半透明ゴミ袋の使用年代に違和感を思えましたが、東京マターの話かもしれません。ただいずれにせよ、作劇を優先すると決めてやったのなら、それでいいと思うのです。
 SNSやっていた頃、ドラマやアニメの感想を呟くだけで「考証をしている」といわれたので、何となく書いてみました。あ、「ハガレン」映画版、そんなに悪くなかったような。「鷹の目」がイメージ違うなと思ったのですが、大佐がボケないのでツッコミ役に回れなければそうなるかな、と。
(2018-01-05)