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武田氏研究文献目録
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武田氏研究文献目録
※本目録は、柴辻俊六氏が作成・公開をしていたものを受け継いで、丸島和洋が修正・加筆を施しながら運用しているものである。分量が膨大ということもあり、誤字・脱字や遺漏の存在が予想される。利用にあたっては、必ず原典をご確認願いたい。なお、海老沼真治「武田氏関係研究文献目録 一九八三―二〇〇七年」(『戦国大名武田氏の権力と支配』所収)の内容は、まだ反映されていない。同書も、あわせてご参照されたい。
〜1945年
1946〜1969年
1970年〜
1980年〜
1990年〜
2000年〜
2010年〜
1950年(昭和25年)
編著書・史料集
論文
藤田元春「甲州桝考」
(『山梨大学学芸学部紀要』1号)
1951年(昭和26年)
編著書・史料集
論文
原田伴彦「戦国時代前後の諏訪門前都市集落」
(『信濃』3巻40号)
1952年(昭和27年)
編著書・史料集
信濃史料刊行会『信濃史料』
(信濃毎日新聞社)
論文
村井益男「水軍についての覚書―小浜氏の場合―」
(『日本大学文学部研究年報』1号)
田中久夫「武田氏の妻帯役」
(『日本歴史』46号)
平沢清人「中世末の村落内の知行者たち」
(『社会経済史学』18巻1号)
谷岡武雄「甲府盆地の豪族屋敷」
(『歴史地理の諸問題』)
1953年(昭和28年)
編著書・史料集
論文
大庭実「武田氏による釜無川河道の改修について」
(『駒沢史学』1号)
三浦宏「南伊那谷における中世末期の村落立地に関する研究」
(『信濃』5巻10号)
1954年(昭和29年)
編著書・史料集
赤木義雄『人間武田信玄』
(岩月書店)
中込悌造『要害山』
(私家版)
論文
1955年(昭和30年)
編著書・史料集
論文
1956年(昭和31年)
編著書・史料集
論文
阿部猛「武田氏と鉄砲」
(『日本歴史』99号)
平沢清人「下伊那地方の武田氏・家康・秀吉の検地」
(『信濃』8巻2号)
1957年(昭和32年)
編著書・史料集
河原信三『信玄とその一党』
(古今書院)
論文
磯貝正義「甲斐源氏の起源と鎌倉幕府との関係」
(『甲斐史学』1号)
服部治則「甲斐の検地」
(『甲斐史学』1号)
村上直「甲州桝」
(『日本歴史』113号)
1958年(昭和33年)
編著書・史料集
高柳光寿『戦国戦記 三方原之戦』
(春秋社)
小林計一郎『川中島の戦』
(長野郷土史研究会)
林貞夫『甲州法制史』
(甲陽書房刊)
論文
村松廬洲「甲斐における修験道」
(『甲斐史学』5号)
野沢昌康「甲州金の歴史」
(『甲斐史学』5号)
宮下操「武田氏を中心とせる伊那中世史論」
(『伊那』365号)
村松志孝「武田信玄の信仰」
(『甲斐史学』5号)
内海恒雄「戦国大名としての武田氏の性格」
(『新しい歴史像』4号)
松平乗道「武田家臣組織小考」
(『甲斐史学』4号)
高島緑雄「大小切租法起源の再検討」
(『駿台史学』6号)
1959年(昭和34年)
編著書・史料集
奥野高広『武田信玄』(人物叢書)
(吉川弘文館)
論文
服部治則「寄子寄親制度―中尾之郷軍役衆について―」
(『甲斐史学』8号)
清水小太郎「武田信玄の治水について」
(『甲斐史学』9号)
高島緑雄「東国における戦国期寺領の構造―永禄六年・甲斐国恵林寺領について」
(『歴史評論』100号)
奥野高広「武田信玄と興福寺」
(『日本歴史』136号)
伊東多三郎「甲州金」
(『日本歴史』130号)
林貞夫「武田時代の婚姻法」
(『甲斐史学』6号)
野沢昌康「中世後期の中部の状態―武田氏を中心として―」
(『歴史教育』7巻8号)
服部治則「山梨県における親分子分関係の諸問題―親分子分慣行と寄親寄子制度」
(『山梨大学学芸学部研究報告』10号)
1960年(昭和35年)
編著書・史料集
高柳光寿『戦国戦記 長篠之戦』
(春秋社)
奥野高広『戦国大名』
(塙書房)
論文
村上直「黒川金山」
(『日本歴史』141号)
村上直「武田家臣団の解体と蔵前衆(上)(下)」
(『日本歴史』146・148号)
高島緑雄「一五・六世紀における甲斐国人の動向」
(『地方史研究』46号)
村上直「大久保石見守長安と甲斐」
(『甲斐史学』10号)
佐藤八郎「武田勝頼の逸事」
(『信濃』12巻10号)
1961年(昭和36年)
編著書・史料集
論文
村上直「徳川氏の甲斐経略と武川衆」
(『信濃』13巻1号)
村上直「戦国氏研究の一駒」
(『甲斐史学』16号)
村上直「河野家文書と申伝書」
(『多摩文化』6・7号)
奥野高広「足利義昭と武田信玄」
(『日本歴史』153号)
伊藤富雄「武田氏の土地制度と下伊那の本帳」
(『伊那』9巻10・11号、10巻1〜3号)
佐々木潤之介「幕藩制的秩序の形成過程」
(『一橋大学研究年報・社会学研究』4号)
標(飯田)泰江「武田親族衆としての穴山氏の研究(一)―特に河内領支配の在地構造をめぐって―」
(『甲斐路』2号)
標(飯田)泰江「武田親族衆としての穴山氏の研究(二)―特に河内領支配の在地構造をめぐって―」
(『甲斐路』3号)
1962年(昭和37年)
編著書・史料集
平沢清人『近世南信濃農村の研究』
(御茶の水書房)
萱沼英雄『妙法寺記の研究』
(妙法寺)
論文
村松学祐「武田機山公の死因について」
(『甲斐史学』17号)
市村感人「武田信玄神領寄進状」
(『伊那』409号)
標(飯田)泰江「武田親族衆としての穴山氏の研究(三)―特に河内領支配の在地構造をめぐって―」
(『甲斐路』6号)
服部治則「中尾郷軍役衆覚書」
(『甲斐史学』17号)
奥野高広「甲斐武田氏と本願寺」
(『日本歴史』165号)
平沢清人「武田氏と知久氏」
(『伊那』10巻6・7号)
村上直「甲斐における辺境武士団について(上)(下)」
(『信濃』14巻1・2号)
1963年(昭和38年)
編著書・史料集
内藤末仁『武田勝頼』
(中央図書出版)
論文
有馬成甫「甲陽軍鑑論」
(『軍事史学』11号)
小林計一郎「武田氏家臣団の構造―生島足島神社起請文を通して―」
(『伊那』11巻7〜10号)
小林計一郎「高坂弾正考」
(『日本歴史』245号)
村上直「戦国期における検地『増分』について―武田、徳川領国支配の変遷を中心に―」
(『信濃』15巻1号)
村上直「武田領国支配における御料所について」
(『甲斐史学』18・19合併号)
村上直「武田時代における小十人頭」
(『多摩文化』10号)
竹内尚次「武田氏をめぐる肖像画群」
(『ミュ―ジアム』152・164号)
北村勝雄「高遠城と高遠城の戦い」
(『伊那』7・8月号)
丸子亘「勝山日記と妙法寺記」
(『立正大学文学部論叢』17号)
1964年(昭和39年)
編著書・史料集
井上鋭夫『謙信と信玄』
(至文堂)
論文
奥野高広「武田信玄の西上作戦」
(『日本歴史』198号)
高島緑雄「武田信虎文書の編年」
(『歴史論』創刊号)
下平加賀雄「高坂文書に対する考察」
(『伊那』13巻6号)
清水茂夫「文学における信玄をめぐって」
(『徽典会』1・3・5号)
北村勝雄「高遠城と高遠城の戦」
(『伊那』11巻8〜10号)
1965年(昭和40年)
編著書・史料集
高島緑雄『甲斐武田氏文書集』第一集
(地方史研究協議会)
磯貝正義他『甲陽軍鑑』 全三冊
(人物往来社)
中村正賢『武田信玄と治水』
(山梨県林業研究会)
中村就一『長南氏の研究』
(私家版)
なかざわ・しんきち『甲斐武田氏』(全三巻)
(甲斐史学会)
小林計一郎『武田軍記』
(人物往来社)
論文
岩沢愿彦「甲斐の『はだよし』」
(『日本史籍論集』下巻所収、吉川弘文館)
奥野高広「甲斐守護武田信縄」
(『甲斐史学』特集号)
清水茂夫「甲陽軍鑑の周辺」
(『甲斐史学』特集号)
松平乗道「武田氏と信濃の武士」
(『甲斐史学』特集号)
中沢信吉「甲斐の皮剥」
(『甲斐史学』特集号)
服部治則「成瀬家における武田遺臣」
(『甲斐史学』特集号)
柴辻俊六「龍王河原宿成立の意義」
(『甲斐史学』特集号)
村上直「八王子千人同心の成立」
(『信濃』17巻1号)
小葉田淳「領国武田氏の幣制と家康の幣制の確立」
(『歴史教育』13巻10号)
金井喜久一郎「市河文書雑考―釧路市川家の文書概観―」
(信濃史学会編『一志茂樹博士喜寿記念論集』)
平沢清人「信濃における中世末の貫文制と林野」
(信濃史学会編『一志茂樹博士喜寿記念論集』)
河村義昌「武田信玄の学問とその詩文について」
(『国文学論考』1号)
東使憙輝「甲州法度」
(『四天王寺女子短大報告』7号)
なかざわ・しんきち「甲州流」
(『甲斐路』11・12号)
小林計一郎「武田軍の小荷駄隊」
(『日本歴史』209号)
小林計一郎「軍役衆と兵糧」
(『日本歴史』208号)
小林計一郎「甲陽軍艦の武田家臣団編成表について―「武田法性院信玄公御代惣人数之事」の検討―」
(『日本歴史』206号)
長岐久蔵「浅利氏の研究」
(『甲斐路』11号)
1966年(昭和41年)
編著書・史料集
小林計一郎『真田史料集』
(人物往来社)
猪坂直一『真田三代録』
(理論社)
土橋治重『武田信玄』
(三一書房)
柴辻俊六ほか『新編甲州古文書』三冊
(角川書店)
林貞夫『新・武田三代記』
(甲陽書房)
信玄まつり実行委員会『甲斐の武田』
(同会)
論文
飯田泰江「武田親族衆としての穴山氏の研究(四) 穴山氏の河内一円支配の段階」
(『甲斐路』12号)
佐藤八郎「快川和尚の恵林寺住山について」
(『徽典会』3号)
柴辻俊六「妙法寺記の諸本について」
(『甲斐史学』22号)
平林富三「小山田備中守考」
(『信濃』18巻10号)
1967年(昭和42年)
編著書・史料集
清水茂雄他『武田史料集』
(人物往来社)
野沢公次郎『甲斐源氏と武田氏』
(東都山梨新聞社)
一ノ瀬義法『武田信玄終焉地考』
(根羽史学会)
小林計一郎『武田軍記』
(人物往来社)
論文
宮川満「戦国大名の領国制」
(『封建国家の権力構造』、創文社)
藤木久志「貫高制と戦国的権力編成―村田、宮川、佐々木(潤)の三氏の所論に学ぶ―」
(『日本史研究』93号)
佐藤八郎「武田信玄の駿河経略と山県家所蔵文書の意義」
(『甲斐路』13号)
佐藤八郎「南部町円蔵院所蔵「穴山信友画像」の賛について」
(『甲斐路』14号)
佐藤八郎「武田信玄と身延山」
(『甲斐路』14号)
佐藤八郎「葵庵法号記と同画像賛の研究」
(『甲斐路』14号)
野沢昌康「甲州番匠の研究 下山大工」
(『甲斐路』14号)
村上直「武田蔵前衆について」
(『甲斐史学』22号)
高島緑雄「幸福文書と武田氏」
(『甲斐史学』22号)
小林計一郎「葛山家―ある戦国小武士団の歴史」
(『長野』12号)
有馬成甫「甲陽軍鑑論」
(『軍事史学』11号)
1968年(昭和43年)
編著書・史料集
有馬成甫『甲陽軍鑑と甲州流兵法』
(人物往来社)
佐藤八郎ほか『甲斐国志』五冊
(雄山閣)
論文
奥野高広「『甲陽軍鑑』の史料価値」
(『日本歴史』240号)
小林計一郎「武田信玄の遺骸を諏訪湖に沈めること」
(『日本歴史』243号)
小林計一郎「高坂弾正考」
(『日本歴史』245号)
磯貝正義「武田信玄の国土経営」
(『日本の文化地理』8号)
鈴木登「軍役よりみた武田氏の権力構造」
(『秋大史学』16号)
村上直「佐渡支配と小宮山民部」
(『佐渡史学』6号)
1969年(昭和44年)
編著書・史料集
信濃史料刊行会『信濃史料』 全三十三冊完結
(信濃毎日新聞社)
柴辻俊六他『新編甲州古文書』全三冊完結
(角川書店)
一ノ瀬義法『武田信玄終焉地考』
(根羽史学会)
一ノ瀬義法『激戦川中島』
(信濃教育会出版部)
長篠城跡史跡保存館『長篠合戦余話』
論文
奥野高広「駿河出兵をめぐる信玄と家康と信長」
(『日本歴史』253号)
清雲俊元「寿永二年十月宣旨前後の甲斐源氏の位置」
(『甲斐路―山梨郷土研究会創立三十周年記念論文集―』)
佐藤八郎「武田信繁とその家訓」
(『徽典会』6号)
佐藤八郎「最恩寺所蔵穴山勝千代画像始末記」
(『甲斐路―山梨郷土研究会創立三十周年記念論文集―』)
佐藤八郎「穴山梅雪の享年について」
(『甲斐路』15号)
佐藤八郎「郡内領主小山田氏と御師衆」
(『甲斐路』15号)
磯貝正義「善徳寺の会盟」
(『甲斐路―山梨郷土研究会創立三十周年記念論文集―』)
服部治則「天正十年安堵状貫高と天正十七年知行書立俵数について―とくに小十人頭における―」
(『甲斐路―山梨郷土研究会創立三十周年記念論文集―』)
野沢公次郎「軍師山本勘助の疑問と川中島合戦」
(『甲斐路―山梨郷土研究会創立三十周年記念論文集―』)
清水茂夫「武田信玄の御伽衆」
(『説話文学研究』3号)
小山田了三「都留郡と郡内小山田氏」
(『甲斐路―山梨郷土研究会創立三十周年記念論文集―』)
柴辻俊六(斎藤俊六)「中世末地方寺院領の特質―甲斐国塩山向岳寺領を中心に―」
(『甲斐路―山梨郷土研究会創立三十周年記念論文集―』)
〜1945年
1946〜1969年
1970年〜
1980年〜
1990年〜
2000年〜
2010年〜