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武田氏研究文献目録
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武田氏研究文献目録
※本目録は、柴辻俊六氏が作成・公開をしていたものを受け継いで、丸島和洋が修正・加筆を施しながら運用しているものである。分量が膨大ということもあり、誤字・脱字や遺漏の存在が予想される。利用にあたっては、必ず原典をご確認願いたい。なお、海老沼真治「武田氏関係研究文献目録 一九八三―二〇〇七年」(『戦国大名武田氏の権力と支配』所収)の内容は、まだ反映されていない。同書も、あわせてご参照されたい。
〜1945年
1946〜1969年
1970年〜
1980年〜
1990年〜
2000年〜
2010年〜
1945年(昭和20年)以前
明治期
西村宇吉『上杉武田川中島軍記』
(私家版、明治20年)
田中義成「甲越事蹟考」
(『史学会雑誌』1編1号、明治22年)
田中義成「甲陽軍鑑考」
(『史学会雑誌』2編14号、明治24年)
田中義成「信玄謙信竝に髪あり」
(『史学会雑誌』2編24号、明治24年)
田中義成「信玄の葬地」
(『史学会雑誌』2編24号、明治24年)
田中義成「信玄謙信の書画」
(『史学雑誌』2編24号、明治24年)
田中義成「信玄病死付秘喪の事」
(『史学会雑誌』2編24号、明治24年)
田中義成「武田不動」
(『史学会雑誌』2編24号、明治24年)
星野恒「信玄幼名及勘助実名」
(『史学雑誌』3編28号、明治25年)
田中義成「妙法寺記」
(『史学雑誌』31号、明治25年)
田中義成「武田信玄の生年」
(『史学雑誌』4編44号、明治26年)
田中義成「武田晴信の感状」
(『史学雑誌』4編45号、明治26年)
田中義成「武田信玄の風情」
(『史学雑誌』4編45号、明治26年)
田中義成「板垣信方諌言の事」
(『史学雑誌』4編46号、明治26年)
田中義成「穴山梅雪」
(『史学雑誌』5編6号、明治27年)
下村三四吉「武田信玄経略事蹟考」
(『史学雑誌』8編1・3・5・6・7号、明治30年)
沼田頼輔「高野山成慶院所蔵信玄像に就いて」
(『考古』1編7号、明治)
内藤慶助『武田信玄事蹟考』
(啓成社、明治37年)
河部愿「武田信虎駿河退隠につきて」
(『国學院雑誌』11巻8号、明治38年)
辻善之助「理慶尼記解題」
(『史学雑誌』18編2号、明治40年)
一戸桜外『武田信玄』
(広文堂、明治41年)
土屋操「武田信玄の民成」
(『歴史地理』13巻4号、明治42年)
町田源太郎『武田信玄』
(顕光閣、明治44年)
吉池忠治『甲越川中島戦史』
(明治44年)
大正期
信濃史料編纂会『信濃史料叢書』五冊
(大正2〜3年)
土屋節堂『武田落』
(柳正堂、大正2年)
羽皐隠丈『名将武田信玄』
(嵩山房、大正2年)
宮尾秀之助『甲越信戦録』
(長野新聞社、大正3年)
片島武矩『武田三代軍記』(国史叢書)
(国史研究会、大正5年)
土屋節堂『武田史蹟』
(柳正堂、大正8年)
三浦周行「武田家の法律『甲州法度』の研究」
(『法学雑誌』4巻1号、大正8年)
三浦周行「武田家法律の研究」
(『法学論叢』2巻4号、大正8年)
琴陵重鑑「武田氏治水事業の一班」
(『歴史地理』33巻1号、大正8年)
渡辺世祐「武田信玄の信仰及文芸」
(『史学雑誌』30編1号、大正9年)
杉田萬『武田信玄論』
(伊坂出版部、大正10年)
渡辺世祐「信玄の遺骸について」
(『中央史壇』10巻7号、大正14年)
渡辺世祐『関東中心足利時代之研究』
(雄山閣出版、大正15年)
丁余生「上杉謙信と武田信玄」
(『歴史地理』47巻2号、大正15年)
昭和初年
小林鴬里『武田信玄』
(文芸社、昭和2年)
相田二郎「富士山と関所」
(『歴史地理』50巻2号、昭和2年)
相田二郎「駿河駿東郡御厨地方の中世交通史料―駿河御厨地方見学旅行記―」
(『歴史地理』50巻6号、昭和2年)
東大史料編纂所『大日本史料』九〜十一編
(東京大学、昭和3年〜)
相田二郎「戦国時代に於ける東国地方の宿問屋伝馬」
(『歴史地理』51巻5・6号、昭和3年)
相田二郎「武田信玄の秘喪について」
(『歴史地理』52巻6号、昭和3年)
渡辺世祐「信濃における甲越関係」
(『史学雑誌』39編12号、昭和3年)
長野市教育会『川中嶋戦史』
(信濃毎日新聞社、昭和3年)
桜田登『機山公大観』
(形部輔也、昭和4年)
渡辺世祐『武田信玄の経綸と修養』
(更級郡教育会、昭和4年)
渡辺世祐「武田勝頼滅亡以後の武田家」
(『歴史地理』53巻3・4・9号、昭和4年)
藤沢直枝『真田文書集』
(上田史談会、昭和5年)
広瀬広一「機山公事蹟雑考」
(『甲斐』4号、昭和6年)
赤岡重樹「武田浪人の研究」
(『甲斐』4号、昭和6年)
武井佐京「武田家と高野山」
(『甲斐』4号、昭和6年)
北村建信『甲越川中島戦史』
(報国学会、昭和7年)
萩原頼平ほか『甲斐志料集成』十二冊
(甲斐志料集成刊行会、昭和7年〜)
静岡県『静岡県史料』五冊
(同県、昭和7年〜)
栗岩英治「信玄崇拝と信濃人」
(『信濃』1期1巻9号、昭和7年)
市村咸人「武田信玄の伊那経略」
(『信濃』1期1巻10号、昭和7年)
塩田義遜「武田信虎と信立寺」
(『甲斐』(※号数未確認)、昭和7年)
岩崎長思「川中島戦史小観」
(『信濃』1期1巻9号、昭和7年)
甲斐叢書刊行会『甲斐叢書』十二冊
(朗月堂、昭和8年〜)
渡辺世祐「甲陽軍鑑に就いて」
(『甲斐叢書』解題、昭和8年)
井上一次『武田信玄』
(鶏鳴会、昭和8年)
中沢児明「武田信繁家訓の古本と流布本武田家法について」
(『歴史地理』63巻6号、昭和8年)
栗岩英治「龍雲寺の信玄遺骨問題について」
(『信濃』1期2巻4・5号、昭和8年)
桜田登『機山公大観』
(山梨郷土教育会、昭和9年)
萩原頼平他『甲斐志料集成』全十二冊
(甲斐志料刊行会、昭和10年〜)
武田流軍学全書刊行会『武田流軍学全書』三冊
(武田流軍学全書刊行会、昭和10年)
小葉田淳「甲斐地方の金銀鉱業について―特に武田氏の鉱山経営について」
(『経済史研究』16巻6号、昭和10年)
赤岡重樹『甲斐国古社史考』
(オリオン堂、昭和11年)
甲斐叢書刊行会『甲斐叢書』
(朗月堂、昭和11年〜)
神原俊親「臨済宗と武田信玄」
(『正法輪』845号、昭和11年)
広瀬広一「武田信玄の治水工役」
(『綜合郷土研究』、昭和11年)
高橋眞一「八王子千人同心について」
(『史学』15巻2号、昭和11年)
太田宏「川中島戦史」
(『歴史公論』6巻5号、昭和12年)
伊藤只人「戦国時代における東海道吉原駅の組織」
(『史林』22巻1号、昭和12年)
桜井成広「武田信玄公屋形図について」
(『軍事史研究』3巻4号、昭和13年)
井上幸治「秩父井上氏と秩父古文書」
(戦前版『埼玉史談』9巻2号、昭和13年)
井上幸治「武田信玄と鉢形・秩父―小田原北条時代に於ける秩父再考」
(戦前版『埼玉史談』9巻3号、昭和13年)
小林尚二「武田時代における信濃海の口と伝馬役」
(『歴史地理』71巻6号、昭和13年)
塩田義遜「妙法寺記並にその原本について」
(『棲神』24号、昭和13年)
野村常重「武田信玄と関山派の僧」
(『歴史地理』71巻2・3号、昭和13年)
相田二郎「武田氏の印判に関する研究」
(『歴史地理』71巻3・5号、昭和13年)
吉岡正雄「三増古戦場」
(『神奈川県文化財調査報告』6輯、昭和13年)
相田二郎「伝馬人足の手形」
(『交通文化』6号、昭和14年)
宮沢清「武田信玄の死因其他について」
(『史料研究の実例と其方法』雄山閣出版、昭和14年)
広瀬広一『箋注高白斎記』
(山梨郷土史研究会、昭和15年)
猪坂直一『評伝真田一家』
(玉研社、昭和15年)
赤木義雄『武田信玄公』
(柳正堂、昭和15年)
赤木義雄『人間武田信玄』
(岩月書店、昭和15年)
猪坂直一『評伝真田一族』
(玉研社、昭和15年)
静岡県『静岡県史料』 全五巻
(静岡県、昭和16年)
高須芳次郎「武田信玄と上杉謙信」
(『大法輪』8巻12号、昭和16年)
豊田武「戦国諸候の商業統制」
(『歴史学研究』11巻3・7、昭和16年)
田中久夫「戦国時代における僧侶の身分」
(『歴史地理』78巻3号、昭和16年)
小山松吉『武田信玄の政治と勤皇』
(昭和17年)
奥田真啓「甲斐府中八幡宮の研究」
(『史学雑誌』53編11号、昭和17年)
伊藤富雄「上原氏の研究」
(『信濃』2期17巻3号、昭和17年)
堀内千万蔵「武田信玄と松本城」
(『信濃』2期17巻1号、昭和17年)
桑田忠親「武田家の御伽衆」
(『大名と御伽衆』有精堂、昭和17年)
和田政雄『信玄と謙信』
(汐文閣、昭和17年)
渡辺世祐『武田信玄の経綸と修養』
(創元社、昭和18年)
伊東多三郎「所謂兵農分離の実証的研究」
(『社会経済学』13巻8号、昭和18年)
相田二郎『中世の関所』
(畝傍書房、昭和18年)
広瀬広一『武田信玄伝』
(紙硯社、昭和19年)
保坂義照『武田二十四将論』
(アジア青年社、昭和19年)
竹内利美『中世末期における村落の成立のその展開』
(伊藤書店、昭和19年)
金子智彦「武田信玄の治郷と経略」
(『統治研究報告書』6号、昭和19年)
〜1945年
1946〜1969年
1970年〜
1980年〜
1990年〜
2000年〜
2010年〜