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甲陽雑記

〜武田氏研究のページ〜

○真田信之室「清音院殿」(真田信綱娘)の専論拝受
 予想外に慌ただしく、あっという間に年度末です。周囲から「仕事を抱え込みすぎ」と指摘されるありさまで、まあそう言われるからには、色々仕事が滞って御迷惑をおかけしているわけですが…。

 寺島隆史氏より『千曲』162号をご恵贈いただきました。古文書講座(写真入り)は上田市博寄託真田昌幸書状で、こちらも寺島さん御執筆なのですが、巻頭論文として、「真田信之の三人の妻―最初からの妻清音院殿を中心に―」を執筆されています。
 「真田丸」では長野里美さんが演じられた「おこうさん」こと真田信綱娘の専論です。初のものではないでしょうか?一次史料上から、信綱娘とみられる女性をピックアップし、従来小松殿(本多忠勝娘)のものとされてきた「久消息」を清音院殿に比定されています。なお、清音院殿の読みは「しょうおんいんでん」または「せいおんいんでん」ならんとしています。ご恵贈、どうもありがとうございました。『加沢記』への言及がないのが、ちょっと残念でしたが。
 三人の妻、とあるように、大蓮院殿(小松殿)、そして清花院殿(亀子、玉川右京)についても検討されています。

 なお最新号なので、図書館コピーができませんが、上田の平林堂書店が取り扱っています。通販もやられているところなので、ご興味がある方はお問い合わせください。

 平山優氏からも、『武田氏滅亡』(KADOKAWA)をご恵贈いただいています。こちらは、「諸事情」で熟読を我慢しています。内容重なった本を書いていると、先入観入るの防がないといけないんですよね。

(2017-03-22)
○「SEKAI」インタビュー記事公開
 昨年末に受けたインタビュー、もう一件が公開されました。これで基本的に「真田丸」のメディア関係のお仕事は終わり、となります。

 ぼくらの未来を広げるWEBマガジン SEKAI
 大河ドラマを支えた“地味にスゴイ”仕事!? 歴史学者が挑んだ「時代考証」の舞台裏

 このインタビューには、「世界が変わった一冊」を紹介するというコーナーがありまして、かなり悩みました。研究に影響を与えた本といえば、峰岸純夫先生の『中世 災害・戦乱の社会史』(吉川弘文館)、山田邦明先生の『戦国のコミュニケーション―情報と通信―』(同)など多数あります。ただ、高校生向けのサイトということで、値段の安い新書がいいだろうと考え、藤木久志先生の『刀狩り―武器を封印した民衆―』(岩波新書)を選びました。ちょうど復刊されましたしね。
 また、古文書の写真を一点といわれましたので、私自身の収集文書から、「刀狩り令」と関わりのある文書の写真を送りました。実は、まだどこにも史料紹介をしていない未翻刻の文書であったりします。

 今日で「真田丸」の公式HPも閉鎖。長かった船旅が、完全に終わりました。今は論文その他の締切に追われてひいひい言う日々に戻っています。
(2017-01-31)
○「マンモTV」インタビュー記事公開
 昨年末に受けたインタビューが公開されました。

 考える高校生のためのサイト「マンモTV」
 丸島和洋「歴史の中に生きている自覚が史実に向かう態度を決める」

 長くてすいません。校正してたら予定字数超過してしまいました。またやったか…。
(2017-01-16)
○『真田信繁の書状を読む』(星海社新書)
 昨年9月、星海社新書として『真田信繁の書状を読む』という本を刊行しました。

 信繁の書状・命令書を読み進めて彼の一生を追うのが本書の趣旨ですが、第一章「史料を読むということ」で戦国時代の「古文書学」について、卑見を整理しています。これについては、現在関連論文をいくつか執筆・校正中でして、最終的に一書にしたいと思っています。そのプロトタイプ版というものでしょうか。
 うっかりしたなと思ったのは、あとがきで「信繁発給文書はたった17通しかない」という趣旨の文章を書いたのですが、これは、大名でも国衆家当主でも豊臣政権の奉行人でもない、一介の馬廻にしてはかなり多い数字です(たとえば井伊直虎は2点)。ですので、じっくり読み込んでみる価値はあるかと思います。

 ただ、かなり短期間で仕上げたため、いろいろ不備が多いです。大きな正誤を、下記に挙げておきます。

●31頁4行目
 (誤)「影写本は古文書の下から光を宛てて字をなぞり」
 (正)「影写本は古文書上に薄様紙を置いて字をなぞり」
 ※京都大学総合博物館所蔵の影写本には上記の作り方をしたものがあり(『京都大学総合博物館ニュースレター』32号)、それを念頭に書いてしまいました。ただこれは一般的ではない新しいやり方なので、修正します。

●179頁現代語訳・追伸1行目
 「(銅製の盆)」を削除
 ※「はり」を当初「さはり(響銅)」の書き間違いと判断して、当初材質が銅であると考えていました。校正中に、「はり(玻璃)」で水晶のことだと気づき、書き直したのですが、元の部分が残ってしまいました。

●213頁翻刻2行目下から3行目頭
 (誤)「神そく」
 (正)「神そゝゝ」
 ※本文の誤読です。『信濃史料』の読みをそのまま転載したのですが、誤りであるとの指摘を受けました。「しんぞしんぞ(神ぞ神ぞ、真ぞ真ぞ)」で「神かけて、心から」という意味。

●213頁翻刻後ろから5行目頭
 (誤)「申つくし候」
 (正)「申かへし候」
 ※これも『信濃史料』の翻刻に従ったのですが、こう読んだほうが素直と考え直しました。

●214頁現代語訳後ろから3行目
 (誤)「親族はそのようなものだと思っていたのです」
 (正)「まったくもってそのような考えでいたのです」
●218頁1〜4行目
 一段落全体を削除
 ※「神そゝゝ」の誤読により、解説文全体の修正が必要になりました。

●252頁現代語訳
 ※追而書の現代語訳が脱落していました。下記の段落を追加。
 「追伸:なお、(お二人に)別々の手紙で申し上げるべきですが、大したこともありませんし、御使者が御存知のように、細々とした用事で取り乱れておりますので、取り急ぎこのように書き送りました。いずれも追って詳しく申し上げます。」

 なお本書刊行後、東京大学史料編纂所架蔵影写本から採録した真田信繁書状の原本が発見され、御所蔵者の方の許可を得て調査を行いました。詳細については、星海社のサイト「ジセダイ総研」で「再発見された真田信繁自筆書状」というコラムを書いていますので、こちらを御覧ください。

 また、『古文書研究』82号(2016年12月刊行)に、「真田信繁書状の再発見」という史料紹介文を書きました。当然、後者のほうが専門家向けですが、その後の知見も加わっておりますので、こちらのほうが内容は新しいです。あわせてご参照いただければ幸いです。

(2017-01-15)
○ツイッター閉鎖
 予定通り、ツイッターアカウントを閉鎖しました。
 もともと大河ドラマ「真田丸」の補足解説を本HPでやる予定で、その更新説明用に再登録したアカウントでした。ただ本HPはXMLで書いており、更新に手間がかかる構造であったため、一度もHP上で補足することはなく、ずるずるとツイッターで解説を始めていました。
 当初は本当に一言、二言のつもりだったのですが、「真田丸」はかなり新しい研究成果をフィードバックしていただいた大河のため(有難いことでした!)、「創作ではなく研究の進展で明らかになった史実をベースにしています」という説明をした方が良いように感じ、どんどん分量が増えていってしまいました。朝日・毎日両新聞にまで取り上げていただき、本当にありがたく思っています。時代考証がこんなに出しゃばっちゃいけないんですけどね。
 ただ本業とあまりにかけ離れた状況になってしまったこともありまして、当初の予定通り、大河ドラマ放映終了に合わせ、クローズとしました。上田の大河ドラマ館100万人達成が間に合ったのが、幸いでした。
 特に本放送終了時期から、フォロワーの皆さんにはいろいろ慰労のお声がけをいただき、ありがとうございました。あまりに膨大であったためご挨拶をし損ねた方も少なくありません。失礼もあったかとは存じますが、今後はこちらのHPでの運用としていきたいと思います。最後にまとめて今後の告知出したから、それを実現しないといけませんしね。まだ表に出していない企画も多いです。とりえあず、先月来たゲラや昨年末締切の原稿から片付けないと…。
 改めての、ご挨拶まで。

 ※追伸:右側の関連書籍一覧を更新しました。昨年は、ほとんど紹介できていないので、そのうち書きます。
(2017-01-07)
○サイト移転のご案内
 早速ですが、JCOMのウェブスペース提供サービス終了(2017年1月末日)に伴い、旧URL(http://members3.jcom.home.ne.jp/kazu_maru/)から新しいサーバに移転いたしました。
 新URLは、下記の通りになります。

   http://kazumaru-takeda.com/

 あわせて、壁紙の使用を取りやめました。以前使っていたディスプレイでは問題なかったのですが、最近使っているディスプレイだとどうも文字が読みづらく、そのうち変えようと思っていたので、良い折りでした。
 今後とも、よろしくお願い申し上げます。今年は、更新頻度を戻す予定です。サイトの移行もスムーズに進みましたので、ツイッターアカウントは、予定通り今週中に閉鎖します。

(2017-01-04)
○お役御免
 新年明けましておめでとうございます。

 昨年、NHK大河ドラマ「真田丸」をご視聴いただいた皆さんどうもありがとうございました。1/2の総集編再放送をもちまして、時代考証としての仕事に区切りをつけました。その間、ツイッター中心の活動をしており、かつ考証作業が予想外に多忙であったため、HPの更新が止まってしまっておりました(本文は2回しか更新していない…)。
 ただ大河ドラマ終了に伴い、ツイッターアカウントも再度閉鎖いたします(もともと大河用に復活させたものでした)ので、告知関係はHP中心に戻ります。

 少し年初に余裕ができたのですが、なんとJCOMのウェブスペース提供サービスが今月末で打ち切りとのことで、HPを移転しなければなりません。現在、その準備に追われているところです。

 大河ドラマの常として、「真田丸」公式サイトも本月末で閉鎖されます。同サイトには壁紙などが公開されていますし、「直江状」朗読も視聴できますが、それも今月限りです。ご注意ください。
 そこで公式サイトの中で、私が関わったいくつかのページへのリンクを貼っておきます。

●真田丸公式サイト
真田丸公式サイトトップ

特集 さなイチ「別冊!インタビュー 時代考証 黒田基樹さん 平山優さん 丸島和洋さん (クランクアップを迎えて)」
特集 さなイチ「別冊!インタビュー 時代考証 丸島和洋さん 〜豊臣秀吉の残した遺言〜」

特集 さなイチ「別冊!インタビュー 風俗考証 佐多芳彦さん 〜“鉄火起請”前編〜」
特集 さなイチ「別冊!インタビュー 風俗考証 佐多芳彦さん 〜“鉄火起請”後編〜」

特集 ムービー「直江兼続役・村上新悟さんによる「直江状朗読(※一部抜粋)」
特集 ムービー「直江兼続役・村上新悟さんによる「直江状朗読完全版―原文―」
特集 ムービー「直江兼続役・村上新悟さんによる「直江状朗読完全版―現代語訳―」

 次に他のサイトでのインタビュー関係です。新聞関係は、そのうち消えてしまいますので、ご留意を。

●ジャパンナレッジ ※「真田丸」時代考証とジャパンナレッジの活用について
JapanKnowLedge VOICE 丸島和洋さん 歴史学者 大河ドラマ『真田丸』の若き時代考証者 第1回
JapanKnowLedge VOICE 丸島和洋さん 歴史学者 大河ドラマ『真田丸』の若き時代考証者 第2回
JapanKnowLedge VOICE 丸島和洋さん 歴史学者 大河ドラマ『真田丸』の若き時代考証者 第3回

●毎日新聞web版
「真田丸 時代考証・丸島和洋さんに聞く(上) 「『幸村』ではなく『信繁』制作陣の本気感じた」
「真田丸 時代考証・丸島和洋さんに聞く(中) 「ドラマが照らし出した新しい史実」
「真田丸 時代考証・丸島和洋さんに聞く(下) 「大河ドラマとは 歴史への向き合い方とは」

●朝日新聞デジタル
「(ひと)NHK「真田丸」の時代考証をした歴史学者」

●東京FM ピートの不思議なガレージ
「手紙から窺われる真田家の人々の実像は」

ついでに、昔書いた本の宣伝コラムです。
●講談社
『戦国大名の「外交」』著:丸島和洋 「歴史研究者と戦国大名の距離感」

(2017-01-03)
○やっと一息
 ようやく、新年度のペースが掴めてきました。ただ、相変わらずドタバタとした日が続いています。まずは「武田氏研究文献目録」の更新。ただまだずいぶん漏れがありそうです。

 新年度の新刊として、『戦国大名武田氏の家臣団―信玄・勝頼を支えた家臣たち―』(教育評論社)を刊行しました。結局予告できなかったのですが、山梨県立博物館の「武田二十四将展」図録と合わせてご参照いただければ幸いです。
 ただオオポカをやらかしておりまして、第一部第三章末尾で「明治政府から武田嫡流と認められて侯爵に列せられ、」とあるのは完全な間違い。「明治政府から武田嫡流と認められて子爵を与えられたが固辞した。」に修正します。どうしてこういう思い違いというか、勘違いをしてしまったのか、自分でもよくわかりません・・・。お恥ずかしい限り。

 他にもいくつかご連絡事項がありますが、それはまた今度。
(2016-06-30)
○嵐のような日々
 もう目の前の仕事に対処するので手一杯な日が続いています。ようやく、新年最初の更新ができました(このサイトはXMLで書いているので、新年になるとスタイルシートを書き替える必要があるのです)。といっても、更新しただけ、という感じですが…。
 点検してみたら、「武田氏研究文献目録」も、去年はスタイルシートをいじってすらいなかったんですね。ようするに、更新なし。大反省です。とりあえず、片っ端から入力をしてみたんですが、相当漏れがあるかと思います。
 それと「真田氏研究文献目録」を付け加えねば、という感じもする昨今。いつ余裕ができる、かなぁ。

 遅まきながら、今年の新刊『真田一族と家臣団のすべて』(KADOKAWA新人物文庫)です。真田家臣団を扱った本は、かなり遡らないと類書がないかと思います。もう既に、間違いの指摘を受けているのですが。家臣団研究というのは全体に低調で、これからという分野です。それと、かなり追い込みが入ったので、誤植が多いです。申し訳ありません。
(2016-03-15)
○『北条氏康の子供たち』の刊行
 去年・今年は嵐のような2年間でした。完全にスケジュール管理に失敗をしており、その分多くの方にご迷惑をかけたと思っています。その上体調まで崩したのですから、最悪としかいいようがありません。まあ、おかげで大量の研究成果を世に送り出せたのですが…。こういうときは一度立ち止まって自分を見つめ直さないと、足下をすくわれることになるんじゃないかと思っています。いまどういう研究をやっていて、そこからどういう議論を紡ぎ出したいか、ということです。これが来年の課題となるでしょう。

 さて、宮帯出版社から黒田基樹・浅倉直美編『北条氏康の子供たち』(3500円税別)が刊行となりました。
はしがき黒田基樹5
序章 総論
北条氏康の子女について黒田基樹10
第一章 北条氏康の息子たち
北条氏政黒田基樹36
北条氏照則竹雄一58
北条氏邦浅倉直美82
北条氏規石渡洋平102
北条氏忠竹井英文124
北条氏光小川雄144
上杉景虎片桐昭彦168
第二章 北条氏康の娘たち
早川殿――今川氏真の室長谷川幸一184
七曲殿――北条氏繁の室小笠原春香204
長林院――太田氏資の室新井浩文216
浄光院殿――足利義氏の室長塚孝232
桂林院殿――武田勝頼の室丸島和洋246
第三章 戦国北条氏の居城
小田原城佐々木健策258
韮山城跡池谷初恵284
鉢形城跡石塚三夫294
唐沢山城出居博312
玉縄城宇都洋平328
付録
北条氏関係系図342
北条氏康と子供年譜小川雄344
花押・印章一覧351

 私は武田勝頼の継室になった桂林院殿を書いています。まあ、ほとんど『甲乱記』の現代語訳なんですが。『甲乱記』の史料的検討をしたことがつながってきました。研究とはどこでどうつながるかわからないものです。

(2015-12-26)
○連戦
 暖冬ということですが、さすがに冷え込みが厳しくなってきました。先日、沼田で真田氏に関する講演をしてきましたが、予定の300人を上回る来場をいただき、感謝感激です。役所の方は、「床が抜けるのでは…」と心配されていましたが。
 1月以降も講演が続きます。オープンな講演のみ、記しておきたいと思います。

真田中央公民館 地域学習講座 シンポジウム
  日時:2016年1月24日(土)14:00〜(開場13:30)
  場所:真田中央公民館大ホール
  論題:「時代考証担当の3人が大河ドラマ「真田丸」の時代を語る」
  登壇者:平山優・黒田基樹・丸島和洋
  入場:無料 定員先着300名様
  問い合わせ先:真田中央公民館 0268−72−2655

●山梨郷土研究会総会記念講演
  日時:2016年1月31日(日)15:20〜17:00
  場所:岡島ローヤル会館(甲府市丸の内1丁目21−15)
  論題:「武田信玄・勝頼と真田三代―幸綱・信綱から昌幸へ―」
  問い合わせ先:055−263−6441(山梨郷土研究会)

学術講座「真田氏の真実にせまる!」最終回
  日時:2016年2月27日(土)13:30〜17:00
  場所:上田駅前ビルパレオ2階 会議室
  論題:「真田一族の発祥から松代入部まで」
  入場:無料 定員先着80名様
  問い合わせ先:0268−29−0210(上田情報ライブラリー)

 この他、6月11日(土)に大多喜町、7月9日(土)に真田宝物館で講演を予定しています。また、連続した市民講座もいくつかありますが、現在日程などの調整中ですので、別の機会に。
(2015-12-21)
○闇が深くなるのは…
 あっという間に12月になりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。近々の講演予定を記しておきます。
歴史リレー講座会6
  日時:2015年12月19日(土)14:00〜
  場所:沼田市白沢支所 3階多目的ホール
  論題:「真田氏と上州―沼田領をめぐる北条氏との争い―」
  主催:沼田市
  入場:無料 定員300名様(事前申し込み不要)
  問い合わせ先:0278−22−1600(沼田エフエム放送)

●真田中央公民館 地域学習講座 シンポジウム
  日時:2016年1月24日(土)14:00〜
  場所:真田中央公民館大ホール
  論題:「〜時代考証担当の3人が大河ドラマ「真田丸」の時代を語る〜(仮)」
  登壇者:平山優・黒田基樹・丸島和洋
  入場:無料 定員300名様?
  問い合わせ先:現在調整中

 12月19日に、NHK出版から『NHK大河ドラマ・ストーリー 真田丸 前編』と、『NHK大河ドラマ歴史ハンドブック 真田丸』が発売されます。どちらも時代考証者3人が監修していますが、後者には、私が執筆した「クロニック「真田六文銭」戦記」と、時代考証者(平山・黒田・丸島)の座談会が掲載されます。かなりぎりぎりの進行になったので、はたしてどういう形で仕上がってくるのか不安なのですが、「真田丸」の内容にも当然触れています。放送前に情報を入手されたい方は、ご確認下さい。

(2015-12-06)
○休暇は終わりぬ
 復帰早々ですが、12月に沼田で講演をします。まだネットでの告知はでていないようですね。
●歴史リレー講座会6
  日時:2015年12月19日(土)14:00〜
  場所:沼田市白沢支所 3階多目的ホール
  論題:「真田氏と上州―沼田領をめぐる北条氏との争い―」
  主催:沼田市
  入場:無料 定員300名様(事前申し込み不要)
  問い合わせ先:0278−22−1600(沼田エフエム放送)

 話が全然変わるのですが、真田丸のスタッフTシャツが届きました(※有償)。関係者限定販売品なので、あまりお見せするものではないかもしれませんが、デザインがなかなか秀逸で、気に入っています。色は何色かあるのですが、赤備えに近そうなワインレッドにしました。

 真田丸Tシャツ・表  真田丸Tシャツ・裏

 『真田四代と信繁』ですが、紙媒体の書籍と同時に、Kindle版も刊行されました。電子書籍で読まれたい方は、そちらをご参照ください。
(2015-11-21)
○『真田四代と信繁』刊行です!

 『真田四代と信繁』(平凡社新書)が、11月13日に刊行されました。

 平凡社様としても、かなり力を入れていただきました。どうぞよろしくお願い申し上げます。しかしまさか柴辻さんと黒田さんの本の発売日と重なるとは…。今年の真田本は激戦ですね。
 本当は、発売日に更新をしたがったのですが、無理がたたって暫くダウンしておりました。今日ようやく復帰したところです。

 次ですが、新人物文庫から、『真田家の人々(仮)』を年内に刊行する予定です。こちらは、入稿を終えました。真田家臣団小辞典のようなものと思って下さい。もう一冊、武田家の家臣団に関する著作を取りまとめている最中です。予定では、これが一番最初に出る筈だったのですが、大河ドラマ関係の著作が優先になったのと、次の論文集で論ずる内容と関わってきて、練り直しが必要になったため、順番が入れ替わりました。これさえ終われば、一息つけるのですが…。

 大河ドラマですが、小道具の書状のうち、画面に文面が映るものは、僕が文章を考えています。崩し字は、ある程度勉強した人なら読めるレベルでお願いしました。書状の様式(紙の使い方)も、各大名の慣例を踏まえるようにしているつもりです。こういう細かい作業、はじめると凝り出すんですよね、僕は。『武田氏家臣団人名辞典』の時もそうでしたが。
(2015-11-19)
○『真田四代と信繁』校了
 過日、『図説 真田一族』(戎光祥出版)が刊行の運びとなりました。Amazonへの入荷が遅れており(これはAmazon側の動きにかなり左右されるようですが)、御迷惑をおかけします。

 また、『真田四代と信繁』(平凡社新書)を校了しました。11月13日刊行です。

 宜しくお願いします。

 この二冊が片付いたので、次の本の仕上げに取りかかっています。こちらは、12月刊行予定です。詳細は、おってご案内いたします。
(2015-10-25)
○『図説 真田一族』校了
 『図説 真田一族』(戎光祥出版)を数日前に校了しました。出版社側の意向もあり、ぎりぎりまで節タイトルをいじったので、戎光祥出版のサイトに載っている細目次とは変わっています。ご寛恕ください。10月刊行です。

 現在、『真田四代と信繁』(平凡社新書)の校正が山場を迎えています。毎度ながら、赤がなかなか減らない・・・。こちらは11月刊行です。

 「四代」というのは、幸綱(一徳斎)−信綱−昌幸−信之を指しています。信繁は本家の家督をついでいないので、併記しました。章立ては『図説 真田一族』と同じで、幸綱、信綱、昌幸、信繁、信之の順です。

 先日、NHK出版の『「真田丸」歴史ハンドブック(仮)』(12月刊行)に掲載する「時代考証者座談会」をやりました。同シリーズでは初の試みだそうです。2時間というタイムスケジュールでしたが、あっという間に過ぎてしまいました。
 「ネタバレ」は基本避けるようにしたのですが、今回の考証サイドはこういう点に力をいれている、といったことをお話ししました。今までの戦国ものとは、少し違った描き方をするよう考証していますので、戸惑われるシーンがあるかもしれません。当然ですが、それをどうわかりやすく伝えるかという話し合いを、折に触れてしています。これは私にとってもいい勉強になりますから、有り難い機会を頂戴したと思っています。

 間違いなく言えるのは、回が進むたびにどんどん脚本が面白くなっていっている、ということでしょうか。

 ただ、座談会ではちょっと話足りなかったですね。終わってから、言いそびれたことがあるのにいろいろ気がつきました。本放送が始まったら、ときどき本サイト上でも補足説明をするかもしれません。

 現時点でひとつだけお話ししておきますと、役名がWikipediaなどで知られたものと違う、というケースがいくつか出ているかと思います。理由は簡単で、1)Wikipediaに書かれた名前が軍記物や系図によるもので、同時代史料から分かる実名と違う。「風林火山」の時にもかなりあったと思います。2)Wikipediaなどに書かれた名前の典拠を、近現代の「歴史小説」以外では確認できない。これは女性名で特に多いですね。

 上に挙げた例とは違いますが、高梨内記の娘を采女としているサイトがあるようです。しかし采女というのは内記の息子の名前で、娘の名前はわかりません。私が調べた限りでは、どうして娘の名前と理解されるようになったのか、不明です。もちろん、膨大な近世史料を調べ尽くしてはいないのですが…。

 よくいわれるように、ネットに転がっている情報には、出所不明のものが多いのですが(だから大学教員はネットからの引用を認めず、原典にあたるよう指導します)、特にWikipediaあたりに載ると、定説として広まる傾向があります。この裏づけ作業は、時代考証で要請されることもあれば、自著執筆のために行うこともあるのですが、いわゆる悪魔の証明になるケースが多い。現在でも、解決がつかない問題を複数抱えています。どこまで調査を継続するか、悩みはつきません。
(2015-10-03)
○真田講演その2

 この前の投稿でも記しましたが、10月以降、講演・講座ラッシュになります。
「真田コンシェルジュ」
  日時:2015年10月17日(土)14:00−15:50(開場は13:30)
  場所:上田商工会議所(上田市大手1-10-22)
「  論題:「戦国真田三代の軌跡―幸綱の智略、信綱の奮戦、そして昌幸の飛躍―」
  司会:小栗さくら(歴史アイドル)
  主催:上田市商店街振興組合「うえだ原町一番街商店会」
  入場:無料 先着150名様
  問い合わせ先:090−3142−3281(担当:中村さん)

ぐんま史料講座〜上州に真田来る!!〜
  日時:2015年10月24日(土)14:00〜15:30
  場所:群馬県立文書館 3階 研修室
  論題:「武田信玄・勝頼と真田幸綱・昌幸」
  定員:200円 定員50名様(超過の場合は抽選)
  申し込み方法:群馬県立文書館総務普及係へ郵送(往復葉書)またはメール(10/1〜10/11受け付け)

小牧市歴史講座「織田信長をめぐる人々」第4回
  日時:2015年10月31日(土)14:00〜15:30(開場は13:30)
  場所:まなび創造館 5階 あさひホール(小牧市小牧三丁目555)
  論題:「織田信長と武田信玄・勝頼」
  定員:無料 先着300名様
  申し込み方法:小牧市教育委員会 文化振興課へ電話・メール・郵送・FAXなど

「真田三代を学ぶ」第2回
  日時:2015年11月22日(日)14:00〜16:00
  場所:真田中央公民館
  論題:「武田家臣としての真田氏―幸綱・信綱から昌幸へ―」
  定員:参加費100円 先着100名様
  申し込み方法:真田中央公民館 0268−72−2655(9/24より受け付け開始)

 先日、「真田丸」の時代考証会議を終えた後、収録現場を見学させていただきました。こちらの考証が、現場にどう反映されているか、一度確認しておきたかったためです。ようするに、うまく伝わっているか、ということですね。
 時代考証というのは、脚本家(三谷さん)の書いた台本を読んで、修正意見を提案するわけですが、あくまでそれは文字の世界。特にト書きの部分がどう演じられるかは、監督・演出・役者さん次第なので(もちろん風俗考証や所作指導の先生が入りますが)、現場を拝見して、台本にコメントを出す際の参考にしようと思った次第です。
 もちろんどんなシーンを撮影していたかはお話し出来ませんが・・・。台本の読み合わせは一度拝聴しており、その段階で手応え(ちょっと出過ぎた表現ですが)を感じていたのですが、やはり実際の演技をみると「想像していた以上の出来」に仕上がりそうだ、と実感しました。まだまだ考証作業は続きますが、本放送が今から楽しみです。
(2015-09-22)
○近刊案内と真田講演その1
 戎光祥出版から、10月に刊行予定の『図説真田一族』がアマゾンに登録されました。

 戎光祥出版のサイトでは細目次が出ています。ご確認ください。

 といっても、現在綱渡りの校正中なのですが…。同時進行が色々ありまして、時間配分がなかなか難しい。判型は、『図説太田道灌』とは異なり、図録で時々ある変型タイプになるそうです。写真を大きく載せたい、という考えからです。

 10月以降、講演・講座ラッシュになりそうです。まず第一陣として、上田の「真田コンシェルジュ」でお話しをさせて頂きます。
  日時:2015年10月17日(土)14:00−15:50
  場所:上田商工会議所(上田市大手1-10-22)
  論題:「戦国真田三代の軌跡―幸綱の智略、信綱の奮戦、そして昌幸の飛躍―」
  司会:小栗さくら(歴史アイドル)
  主催:上田市商店街振興組合「うえだ原町一番街商店会」
  開場:13:30(予定)
  入場:無料 先着150名様
  問い合わせ先:090−3142−3281(担当:中村さん)

 どうも公式サイトなどがない?ようなのですが(よく分かっていない)、司会の小栗さくらさんがブログで告知をしてくれましたので、そちらをご参照ください。

 もっとも、大河裏話はするつもりがありませんので、期待しないように(苦笑)。何が公表されている情報なのか、整理するのに時々苦労します。まだほとんど表に出ていないからいいですが。
(2015-09-04)
○『全国国衆ガイド』刊行
 大石泰史編『全国国衆ガイド 戦国の"地元の殿様"たち』(星海社新書)が刊行されました。

 いや、なんと言っても分厚い。幅が2.3センチくらいあります。その分、本体価格は1350円と新書にしては高めですが、それを補ってあまりある情報を詰め込んでいます。
 「国衆」というのは、かつては室町時代と同じく国人領主と呼ばれていた存在です。ですが、戦国期に入る段階で一円領主化を遂げ、室町期とは権力の質が異なる存在であると評価されたことで、別の呼称を用いようということになりました。その代表的なものが「国衆」ですが、研究者間でも実は用語の統一がとれていません。「戦国領主」などの別の用語を用いる人もいます。
 国衆は戦国大名に従属してはいるものの、自治領主権を保持している存在である点に特徴があります。つまり、戦国大名領国には、国衆自治領が散在しています。こうした国衆は、豊臣秀吉によって、1)大名に認定して独立させる、2)大名の家臣扱いとする、3)改易する、のいずれかの措置がとられたため、近世では消滅しました。戦国期特有の権力のあり方という点を、ご理解ください。

 ただし、どの地域権力を戦国大名と評価し、国衆と評価するかの線引きは非常に困難で、執筆者間でも方針に相違があります。また紙幅の都合もあり(こんだけ分厚くて何を言うかという感じですが)、各国で掲載できる国衆には制限が設けられていたため(私は国衆が多い国はしょうがないと押し通しましたが)、国衆に近い権力でも戦国大名と扱って立項していない場合があります。その場合は、各地域の総論で触れることにしています。私の担当する「甲信」でいうと、村上氏がそれに該当します。逆に肥前では、国衆の数が多くなることに眼をつぶってもらって、国衆から戦国大名化した龍造寺氏、戦国大名から国衆に転落した有馬氏を両方とも載せています。
 また、国衆が少ない大名本国の場合、大名の一門を立項している場合があります。相模の玉縄北条氏、越前の敦賀朝倉氏などがそれにあたります。これを国衆と呼んでいいかは、議論が分かれるところでしょう。もっとも、武田氏や島津氏の場合は室町期の段階で分流していますから、庶流家でも国衆と評価してよいと、私自身は考えています。

 執筆者数も21人と、新書ではありえない人数になっています。以下、簡単に地域別執筆者を列挙しておきます。
 ・まえがき、あとがき、語彙解説 大石泰史
 ・北海道(コラム) 滝尻侑貴
 ・東北   佐藤貴浩(統轄) 滝尻侑貴、菅原義勝
 ・北関東  簗瀬大輔(統轄) 江田郁夫、中根正人
 ・南関東  柴裕之(統轄) 石渡洋平
 ・北陸   鈴木将典(統轄)
 ・甲信   丸島和洋(統轄)
 ・中部   鈴木将典(統轄) 小笠原春香
 ・東海   鈴木将典(統轄) 大石泰史、小川雄
 ・畿内   浜口誠至(統轄) 嶋田哲、小川雄
 ・中国   戸谷穂高(統轄) 大西泰正、木下聡、鈴木将典、小川雄
 ・四国   戸谷穂高(統轄)
 ・九州北部 丸島和洋(統轄) 八木直樹
 ・九州南部 丸島和洋(統轄) 新名一仁
 ・沖縄(コラム) 屋良健一郎

 なかなか珍しい企画の本だと思います。特に西国については、国衆レベルの研究は多くありませんので、貴重な成果だと思います(私自身、執筆にはえらく苦労しました…)。ぜひ手にとってご覧ください。
(2015-08-30)
○『武田氏研究』52号、そして…
 『武田氏研究』52号が刊行されました。

〔記念講演〕中近世移行期権力における「正当性」について久保健一郎1
長篠合戦後における武田氏の側近取次―土屋右衛門尉昌恒を中心に―深沢修平22
真田弁丸の天正一〇年丸島和洋38
〔余滴〕武田勝頼書状と誤写された上杉景勝書状丸島和洋43

 拙稿が2つあるのは、編集担当者として頁調整をする必要があったためです(空白の頁はつくれないので…)。論文のほう、真田弁丸は誰だかおわかりでしょうか?真田信繁の幼名です。今まで気がつかれてこなかった史料をつかいました。

 今日、大河ドラマ「真田丸」キャストの第一段が発表されました。ツイッターなどでは、色々盛り上がっているようですね。

 その関係で、慌ただしい日々を送っています。とりあえず、1冊目の真田本を9月を目標に、2冊目を10月を目標に執筆しています。こう書いておけば、締切を守るだろう…たぶん。

 ところで『古文書研究』に研究余滴「『八代日記』と地方暦」を書いたのですが、英文担当者が『やつしろにっき』と読むことを知らなかったため、英語表題がエラいことに(研究余滴は英語表題を出さないので)。まさか「The Eight-Generation Diary」と訳されてしまうとは。ようするに「8代の日記」と誤読されてしまったのです…。

(2015-07-10)
○『武田氏家臣団人名辞典』の刊行
 気がつきませんでした。企画から7年も経っていたんですね。東京堂出版から、柴辻俊六・平山優・黒田基樹・丸島和洋編『武田氏家臣団人名辞典』がようやく刊行の運びとなりました。「歴代当主をはじめ親族・夫人・重臣・中小家臣、在郷被官衆、商工人・僧侶神官まで、広く武田氏に関わる人物2500人を収録。確実な資料により人物の事跡を解説。武田氏の権力構造や領国経営を知るための基礎を提供」となっているそうです。まあ、そんな感じ。サイトにあるPDFビラの案内がいまいちなデザインなのですが、完成品は非常にシックなものにし上がっています。

 執筆分担は明記されていませんが、大ざっぱに言うとこんな感じです(順不同)。
  柴辻俊六 当主・一門・僧侶・神官・職人・商人
  丸島和洋 庶流家、甲斐国中・郡内地方、信濃佐久・小県・木曾郡、美濃
       花押集・印判集・系図作成
  平山優  甲斐河内、信濃諏訪・安曇・筑摩・伊那郡、飛騨
  黒田基樹 上野・武蔵・伊豆
  柴裕之  駿河・遠江・三河
  鈴木将典 信濃水内・高井・更級・埴科郡、甲斐・駿河・北信濃の地下人
 例外があったり、途中からかなり入れ組みましたので(何しろすごい長丁場)、必ずしもこの通りではありません。ただ、執筆者名は項目の最後に記されていますので、ご確認いただけるとは思います。何しろ長丁場だったため、執筆項目の重複などにより、連名となっている項目も結構ありますが。

 んで、それぞれの執筆割合が届きました。全753頁のうち、丸島は本文320頁、花押集・印判集・系図38頁の358頁を執筆しておりました。・・・47.5%。いや、甲斐国中=甲府が入る以上、武田二十四将は穴山信君と武田勝頼以外全員書いています。もう、何がなにやら。どおりでこの半年ぼろぼろだったわけで。

 それで、さっそくミスのお詫びです。
◆武田信繁の奥さんの法名に「居士」がついていますが、そんなわけはありません。どうしてこんな文字を打ってしまったのか、自分でもわかりません。
◆花押集731頁に「奥平信吉(天正元年)」とあるのは、「奥平信昌(天正元年)」の間違いです。痛恨のミス。
◆武田氏略系図、武田信廉の息子に「大竜寺麟岳」を入れるのを忘れていました。多分、操作ミスで消してしまったんだと思います。この系図は、武田一門の索引を兼ねているため、やはり痛恨のミス。信廉は柴辻さん執筆で、信廉子息は全員僕が書いたので、麟岳が信廉の息子だと言うことが信廉の項目には載っていないんですよね。大失態でした。
 しかし何はともあれ刊行です。お買い上げの程、なにとぞよろしくお願い申し上げます。
(2015-05-14)
○白石調査
 ばたばたとしている間に、高野山調査成果の写真アップは中段してしまいました。まあ、しょっちゅう登山しているので、気が向いたらそのうち…。

 「来年」に向けて、あちこちかけずり回っています。今日は「遠藤家文書」の件でお世話になった宮城県白石市での調査。真田信繁の娘阿梅は、「乱取り」されて(なぜか「保護」と言い換えられることが多い)、片倉重長の妻になりました。その片倉家の居城が白石城というわけです。

 真田信繁娘阿梅の墓
 阿梅の墓です。もともとは「如意輪観音像」の形をしており、歯痛に効くという信仰から削り取られて今の姿になってしまったそうです。なかなか凄まじい。

 片倉重長墓
 片倉重長の墓。こちらは「阿弥陀如来座像」を模しています。片倉家は歴代この形の墓を作っていました。

 片倉景綱墓
 杉ですが、杉ではありません。片倉小十郎景綱の墓です。菩提寺の傑山寺にそびえています。片倉家の墓所は、もとはこの地にありました。

 そろそろHPの更新も頻度をあげようかと思います。色々、ご報告事項が出来そうなので。
(2015-05-11)
○服部治則先生の訃報
 しばらく間を開けてから書こうと思っていたら、予想外に遅くなってしまいました。武田家臣団について、基礎的な研究を積み重ねてこられた服部治則先生がご逝去されました。謹んで、ここにご冥福をお祈りさせていただきます。

 まだまだ著作にまとめられていない貴重な御論考が多々あります。ただし入手が困難なのが難点で…。
(2015-04-26)
○業務連絡
 更新がすっかり滞ってしまいました。仕事のスケジュールが完全に狂ってしまったことに要因があるのですが、自分自身がその一端を担っているので、いたしかたなし。

 完全に業務連絡ですが、iPhoneを水没させて壊してしまいました。現在修理中ですが、目途がたちません。ご連絡は、自宅のメール(kazu_maru@jcom.home.ne.jp)にお願いします(@を2バイト文字にしています…気休めですが)。外出中も常にチェックしていますので。

 最近は、ゲームをすることもなくなりましたが、漫画を読むことも激減しました。漫画雑誌はいくつか買ってはいるのですが、今年に入ってから、一度も開いていません。ただ買うだけです。漫画雑誌の積ん読というのも珍しいのかな。

 

 『放浪息子』も完結してかなりたちますね。最終話のタイトルが、アニメ版のエンディングテーマ曲の名前というのはぐっときました。この物語のポイントは、最終話が「厳しい未来」を暗示して終わるところ。受け止め方にもよりますが。

 原稿は、本務と『辞典』の合間をぬって、いろいろ書いています。あちこち手を広げすぎていて、風呂敷を閉じられていない状況かもしれませんが…。
(2015-03-08)
○『信濃』特集号
 今年はもう無我夢中でした。とても、HPの更新に使うエネルギーはなく…。ただまあ、何か原稿を公表していれば、生きているというご報告です。いずれにせよ、何とか、年度末に更新をしたいと思います。

 本年も、実り多い年でした。何よりも平山さんによる「長篠合戦」本2冊の圧倒的売れ行きは、歴史に対する読者の潜在的な関心をうかがわせ、その意味でも有り難い話でした。また昨年行った武田氏研究会シンポジウムの成果論集として、『戦国大名武田氏と地域社会』を刊行できたのも、コーディネーターとしてほっとしています。私個人も、『戦国遺文武田氏編』補遺の第2段を出すことができました。このあたりのまとめは、年を越してからと言うことで。

 さて、『信濃』66巻12号が刊行されました。「中近世移行期の信濃と隣国」という特集号となっています。

竹井英文「越中国切」をめぐる政治過程―信濃情勢との関わりから―
丸島和洋戦国大名武田氏の佐久郡支配―内山城代小山田虎満・昌成を中心に―
片桐昭彦戦国期武家領主の書札礼と権力―判物・奉書の書止文言を中心に―
簗瀬大輔松井田衆と碓氷峠の地域社会
村石正行書誌紹介 片山正行著『信濃の井上氏について』

 拙稿は、今年『地方史研究』369号に発表した「戦国大名武田氏の西上野支配と箕輪城代―内藤昌月宛「在城定書」の検討を中心に―」とセットになる論考で、「郡司」論の完結編?にあたります。これで、ようやくひとまとまりができあました。
 ただ、このところ、真田ばかりやっていたせいか、松井田城(碓氷郡)を間違えて「吾妻郡」と書いてしまいました。大ポカもいいところです。

 例年、不幸がなければ欠かさず年賀状を出しているのですが、今年は来年刊行される『武田家臣団人名辞典』(東京堂出版)の校正で疲れ果てまして、大変失礼とは存じますが、一部の返礼を除き、省略させていただきます。私の担当分は、最終的に3段組で298頁。明らかに書きすぎですね…。

 新年も、皆様にとって良いお年となるよう、祈っております。
(2014-12-31)
○『真田氏一門と家臣』刊行です!
 ようやく校正の嵐が過ぎ去りました。拙編・論集戦国大名と国衆14『真田氏一門と家臣』(岩田書院)の刊行です。

丸島和洋はしがき1
丸島和洋総論 真田氏家臣団の基礎研究7
原田和彦真田幸村とは65
竜野敬一郎矢沢綱頼の出自と足跡69
北村保矢澤家文書について81
利根川淳子戦国時代における矢沢氏の一考察107
丸島和洋柏木文書中の小山田十郎兵衛宛文書について
―未翻刻の真田昌幸発給文書―
127
寺島隆史上田城下町の商家となった武田家臣「海野衆」神尾氏143
山中さゆり真田宝物館所蔵恩田文書について
―戦国期真田家臣の一形態―
161
山口武夫沼田真田藩の郷士制度の成立及その変質過程191
赤見初夫沼田真田藩への仕官と帰農
―赤見・師岡・矢野一族の場合―
209
寺島隆史真田氏松代移封と知行給人
―「四十八騎浪人」事件を中心に―
225
小林計一郎鈴木右近忠重小伝247
黒坂周平小県郡下の古検地帳
―近世初頭の塩田地方―
261
河内八郎真田氏の領国形成過程
―昌幸時代を中心として―
279
桜井松夫真田氏給人知行地検地帳 解説317

 今度もまた、分厚い本になってしまいました。本文で380頁です。これで定価は4,800円。前回と同じです。やはり前回同様、信之期の初期まで踏み込んだ内容になりました。これ一冊で、戦国・織豊期の真田家臣団研究は概観できるはずです。

 なお、総論で取り上げた一門・家臣は以下の通り。真田信繁/加津野昌春(真田信尹)/矢沢綱頼/矢沢頼幸/小山田茂誠/小山田十郎兵衛/河原綱家/出浦昌相/大熊五郎左衛門尉/池田長門守/丸山綱成/木村土佐守/木村渡右衛門尉/高槻備中守/原半兵衛/北能登守/日置五右衛門尉。以上です。

 またタイトルからは分かりづらいのですが、検地に関する研究も3本収めています。これは検地研究とは知行地研究であり、家臣団研究につながるという意識からです。本当はもう少し収めたかったのですが、紙幅の都合上、これが限界でした。ただ、総論で貫高制と石高制について簡単に総括をしています。先行研究も、これですべて追えるはずです。

 今回も引き続き、コピーフリーとしています。奥付に「コピーフリーマーク」がありますので、図書館でコピーされる方はこちらをご提示下さい。

(2014-04-30)
○『信濃真田氏』刊行です!
 ずいぶんと久しぶりの更新になってしまいました。それもこれも、下記書籍の校正に追われていたからです。

 拙編・論集戦国大名と国衆13『信濃真田氏』(岩田書院)が刊行されました。

丸島和洋はしがき1
丸島和洋総論 信濃真田氏の系譜と政治的動向7
飯島忠夫真田氏祖先について71
小林計一郎真田一族覚書83
唐澤定市真田氏の吾妻郡攻略をめぐって89
堀内亨真田氏の領国形成過程
―武田氏の信濃・上野侵攻のなかで―
111
栗原修上野国沼田領における武田氏と真田氏143
中澤克昭真田氏の本拠を訪ねて147
原田和彦新出史料紹介 真田昌幸書状181
馬場廣幸国文学研究資料館所蔵武田勝頼書状について183
柴辻俊六織田政権と真田昌幸189
山岡信一真田氏領における支配構造
―天正十年前後を中心として―
195
唐澤定市戦国大名真田氏の領国形成215
栗岩英治真田史料随収随録(一) 中挿玻璃版文書小解に就て227
寺島隆史上田築城の開始をめぐる真田・徳川・上杉の動静
―上杉・小笠原の麻績合戦の再考もあわせて―
239
寺島隆史第一次上田合戦前後における真田昌幸の動静の再考273
寺島隆史第一次上田合戦の再考
―戦い後の対陣の経過を中心に―
305
藤澤好古真田氏と南信317
山口武夫戦国末期より徳川初期に至る真田氏の伝馬制と交通史の一端321
尾崎行也真田氏の分立と家臣および領民333
米山一政上田時代における真田氏の政策の一段片351

 戦前から近年まで、真田関係の論文をこれでもかと入れた結果、分厚い本になってしまいました。本文でなんと395頁です。これで定価は4,800円。一見すると高そうにみえますが、めいいっぱい安くした価格設定です。また、内容はそれを補ってあまりあるものに仕上げたつもりです。
 真田氏は近世大名になりますから、信之期の初期まで多少踏み込んだ内容になりました。これ一冊で、戦国・織豊期の真田の研究は概観できるはずです。

 また、今回から本シリーズはコピーフリーとなりました。奥付に「コピーフリーマーク」がありますので、図書館でコピーされる方はこちらをご提示下さい。というか、自分で買えない方は、図書館に買ってもらって下さい(笑)。

 現在、続編の『真田氏一門と家臣』の念校校正中です。こちらも、かなり重厚な内容に仕上がっています。ご期待下さい。

(2014-04-06)
○高野山調査・冬の陣(3)
 久しぶりの更新になってしまいました。

 前年3度目の高野山調査。奥の院の続きです。

 本多忠勝墓
 本多忠勝。夫人とともにただずんでいます。

 本多忠勝墓
 榊原康政。

 石田三成墓
 石田三成。天正十八年と刻まれており、生前に立てたものです。法名は、「宗応」とあります。

 あともう一回で終わりにする予定なのですが、なかなか上手く時間がとれないというか、気力がでません。もう少しお付き合いください。

(2014-02-22)
○高野山調査・冬の陣(2)
 あっという間に冬休みは終わり。明日から平常運転です。

 前年3度目の高野山調査。奥の院の続きです。

 佐竹義宣墓
 佐竹義宣の供養塔です。佐竹義重霊屋の前にあります。というか普通は最初にこっちをみます。

 伊達政宗墓
 伊達政宗。前に鳥居を置いている形に注目して下さい。結構な大きさです。

 浅野家墓所
 急いでいて、具体的にどれが誰の墓かチェックしなかったのですが、浅野家の墓所です。伊達家と同じような形をしている点に注意。伊達と浅野は不仲で有名ですね。

 浅野長晟夫人墓
 広島藩初代藩主浅野長晟夫人の墓です。これもなかなか立派。それもそのはずで、この女性は徳川家康の娘(振姫)なんですね。おろそかにはできないというわけです。

 諏方頼忠墓
 結城秀康のの霊屋。慶長12年(1607)に嫡子である松平忠直が建立したもの。隣には、結城秀康が生母のために建立した霊屋があります。こちらは、慶長9年(1604)建立です。建立年がわかるのはありがたいです。

 とりあえずは、これでまた一息ということで。
(2014-01-06)
○『週刊朝日百科』27刊行
 あけましておめでとうございます。本年もよろしく御願いいたします。

 『週刊朝日百科』27 新発見! 日本の歴史 戦国時代2が刊行されました。私も、「印判状」という見開き2頁のコラムを執筆しています。

 コラム執筆に際しては、どの印判を掲載するかで非常に悩みました。結局、文書全体を掲載する写真には、袖に武田家「船」朱印が押捺された北条家虎朱印状(「禄寿応穏」)、個別の印判には、武田家龍朱印、「晴信」朱印、上杉家「立願勝軍地蔵摩利支天飯綱明神」朱印、今川家「歸」朱印を採用。なかなか映える誌面になったと思います。

 また時間がしばらく経ってしまいましたが、拙メチエ『戦国大名の「外交」』のキンドル版が発売されています。

 あわせて、御覧いただければ幸いです。
(2014-01-02)
○高野山調査・冬の陣(1)
 ついに今年も大晦日になってしまいました。時の経つのは早いものです。

 毎度のことですが、今年3度目の高野山調査に行ってきました。今回はちょっと余裕があっため、久しぶりに奥の院を散策してきました。各大名の墓所を回ったため、かなりの強行軍になってしまいましたが…。その一部写真をアップしたいと思います。なお、世界遺産に認定されたこともあり、以前と比べて案内板の数が格段に増えていました。

 武田信玄・勝頼墓
 毎度おなじみ、武田信玄・勝頼の墓所。信玄墓の裏面には、「天正乙亥(三年)三月六日建立」と刻まれています。これは成慶院の『武田家過去帳』の記述と一致。五輪塔の形態からみても、当時のものと考えてよいのではないでしょうか。なお、『武田家過去帳』によると、宿老山県昌景みずから登山して回向を依頼したそうです。長篠の戦いの2ヶ月前のことでした。

 馬場信春墓
 馬場信春墓。信玄・勝頼墓の裏手にあります。「信翁乾忠大居士」という法名は『武田日牌帳(甲州日牌帳) 「二番」』と一致。問題は左右。うっかりしていたのですが、右側に「蓮華院照山慈源大居士」、左側に「□□院紹勇躰生居士」という戒名が刻まれています。この墓の下部に刻まれた字は、残念ながらほとんど読めないのですが、右側の戒名の下には、「馬場民部…」とあります。ひょっとしたら、信春と同時に討ち死にした子息がいたのかもしれません。そうであるとすると、信春の跡をついだ馬場民部少輔は嫡男ではない、ということになります。このあたりの墓石群は、しっかりと調査すべきでした。今後の課題です。

 佐竹義重霊屋
 佐竹義重の霊屋(たまや)。佐竹家墓所のすぐ裏手にあります。柱に、慶長4年10月15日建立の旨が刻まれています。つまり生前(逆修)供養ということになるわけです。

 北条家墓所宝篋印塔
 北条家墓所の片隅にたたずむ、宝篋印塔。形から見て、ある程度古い、と思った貴方は鋭い。寛永20年建立と刻まれています。問題は誰のものか、という点ですが、「天正十…」というところまでは読み取れました。氏政か氏直の可能性があるかもしれません。こちらも、いずれきちんと調査したい墓所です。

 諏方頼忠墓
 諏方頼忠の墓。諏方家の墓所は、かなり狭いところに押し込まれています。明らかに近世に再整理されたもので、ちょっと残念。ただし裏手に、古い五輪塔がいくつかありますので、本来の墓所はこちらかもしれません。

 安達泰盛町石22番
 安達泰盛が建立させた高野山町石(ちょういし)。これは信玄・勝頼墓所の前にあるもので、第22番町石となります。安達泰盛自身が、祖父のために建立したもの。後ろからの撮影になりますので、祖父入道のため、などという文字が刻まれています。

 ちょっと長くなりそうなので、ここで一息。また新年を迎えましたら、改めて御挨拶したいと思います。
(2013-12-31)
○『武田氏研究』45号刊行
 『武田氏研究』45号が刊行されました。

本多隆成(記念講演)「武田信玄の遠江侵攻経路―鴨川説をめぐって―」
柴辻俊六「「甲陽軍鑑」収録文書の再検討」
大木丈夫「武田信虎悪行伝説の形成について」
寺島隆史「永禄の武田将士起請文と岡城」

 武田氏研究会では、総会での記念講演を翌年の総会時発刊号に掲載するのが通例ですが、今回はひとつ早い号の掲載となりました。それもあってか、久しぶりの年内刊行です。次は節目の50号。史料紹介の続きを投稿するつもりでしたが、節目の号となりますと、どうしたものか迷いますね。

(2013-12-20)
○中世武士選書『郡内小山田氏―武田二十四将の系譜―』刊行
 ちょっと刊行から日が明いてしまいましたが、拙著『郡内小山田氏―武田二十四将の系譜―』が刊行されました(戎光祥出版、四六判・306頁・2500円税別)。

 目次は下記の通りです。

第一章院政期・鎌倉期の小山田氏
  1平姓小山田氏の系譜
  2院政期の小山田氏
  3治承・寿永の内乱と小山田氏
  4鎌倉幕府の確立と小山田氏
  5小山田氏の甲斐入部
第二章南北朝・室町期の小山田氏
  1南北朝期の小山田氏
  2平姓小山田氏の由緒
  3室町期郡内小山田氏の歴代
第三章小山田信長・弥太郎と武田氏の内訌
  1小山田信長の動向
  2小山田弥太郎の動向と戦死
第四章小山田越中守信有の武田氏従属
  1武田信虎への服属
  2小山田氏の支配領域
第五章小山田出羽守信有による「月定」朱印の創出
  1出羽守信有の家督相続
  2出羽守信有の動向と内政
  2病気と死去
第六章小山田弥三郎信有の法令と裁判権
  1弥三郎信有の家督相続
  2弥三郎信有の動向と内政
  3病状の悪化と死去
第七章小山田信茂と武田信玄
  1家督相続と信茂の政治的位置
  2小山田信茂の動向
  3武田信玄「西上作戦」への従軍
第八章小山田信茂と武田勝頼
  1武田勝頼麾下の小山田信茂
  2上杉氏との外交担当者
  3武田氏・小山田氏の滅亡
第九章小山田氏の家臣
  1小山田一門
  2家老小林氏
第一〇章滅亡後の小山田一族
  1小山田信茂の子孫
  2小山田信茂の孫娘と高家武田家

 本書は、私が一般向けに国衆論について記した最初の一書となります。

 しかし、難産でした。250頁という御約束で書き始めたのですが、気がついたら350頁にも達してしまい、あわてて削って、300頁ちょいになんとか収めたという感じです。このところ、どうも長い文章を書く癖がついてしまっていて、よくありません。ただ、何しろ院政期の大蔵合戦にはじまって、高家武田家成立前夜まで書いたものですから、スケールとしてはかなりのものだと思っています。また小山田信茂の「名誉回復」に寄与できれなばなぁなどと秘かに思ったりもしています(苦笑)。

 分量が増えた替わりといっては何ですが、かなり気合いが入っています。去年の暮れから、今年の春にかけて、小山田氏ゆかりの土地を電車や高速バスで回り、写真をかなり撮影しました。また、様々な人のご助力もえました。こうして集まった写真も相当な分量になってしまい、これまた選別を編集者の方に御願いしました。ですがその分、このシリーズのなかでは、写真はかなり充実している部類に入ると思います。

 また、出版社に御願いして、小山田氏の家印「月定」の印影を、複数の文書写真から復元してもらいました。「月定」朱印は、必ず文字と重なっているため、完全な印影がありませんでした。それを今回復元してもらい、裏表紙に使った次第です。ちなみにカバーの見返しには、「信茂」朱印の印影が印刷されています。

 いつものことですが、よろしく御願いいたします。
 
(2013-12-12)
○文章の書き方
 twitter上で、私が編集者として文章を見る時のポイント、というのをいくつか呟いたところ、予想だにしない反響がありました。まあ論文というものは、普通の文章とは少し違ったものですし、大学の演習でもあまり書き方を教わることはありません。そこで生意気極まる話ですが、私なりの文章のチェックポイントをまとめておきたいと思います。とはいっても、私のオリジナルではありません。学部生の時に先輩からたたき込まれたものを、自己流にアレンジしたものです。

 ◆ひとつの文章が長すぎないか
 これはかなり重要なポイントです。ひとつの文章を長く書くと、主語と述語・目的語の対応がおかしくなったり、能動態と受動態が混在したりといった問題が生じがちです。複文・複々文は出来る限り避け、単文を中心に構成したほうが安全なのです。長文を使う時は、きちんと主述が対応しているかを確認してください。
 なお、一段落がひとつの文章で構成されるというのは最悪です。文章を分けることを考えた方がよいでしょう。

 ◆無駄な修飾語句はないか
 上と関連します。修飾語句が増えていくと、やはり主述関係がおかしくなりがちなのです。一度修飾語句をすべて削除してみて、主語と述語がきちんと対応しているかを確認してみてください。「〜の〜の」など似たような表現が連続するのも見た目がよくないでしょう(最近のワープロソフトでは注意がでるかも)。必要な説明が長くなる場合は、独立した文章にすると読みやすくなるかもしれません。
 また、そもそも不要な言い回しを使う事例も多いです。たとえば、「であるということを」という表現には、余計な語句が含まれています。「という」はなくても良いですよね。「であることを」でいいでしょうし、もっと短くできるかもしれません。

 ◆順接の「が」を使っていないか
 「が」という助詞は非常に使い勝手が良く、文章を接続していく時に多用されます。ただちょっと待って下さい。「が」を使って文章を接続していくと、どんどん長くなってしまうのです。これは文章の構成を複雑にしかねません。ですから、助詞の「が」を使う場合は、逆接の時にしぼることをお薦めします。

 ◆順接の接続詞を使いすぎていないか
 順接の接続詞は、実は使わなくても意味が通じます。あまり多用すると、かえって文章が読みづらくなることがあるのです。意味を取り違えやすい箇所や、強調したい箇所に限定して使用することで、自分の主張をより明確にできる場合があります。

 ◆同じ表現を多用していないか
 近い場所で同じ表現を繰り返し使うと、正直見た目がよくありません。「したがって〜〜」「したがって〜〜」「この〜〜」「この〜〜」というのはできれば避けたいものです。また少し文章に慣れてきたら、文末も「である」ばかりではなく、変化をつけることを検討してみてください。文章の見栄えがぐっとよくなります。

 ◆註釈はきちんと書けているか
 註釈をつける場所というのも実はポイントです。先行研究整理で、「〜〜氏の研究がある」に註をつけるのは基本です。ですが、「〜〜従来の研究成果は多いとはいえない」に先行研究の註をつけたらどうでしょう。実りの少ない論文だと名指しをしたようなものです。あまり気持ちよくはないですよね。
 その上で、註釈のスタイル統一に注意してください。日本史の論文なら、著者名「論文名」(『収録著書・雑誌名』、出版社《雑誌の場合は省略》、出版年。初出年)など書き方には一定のスタイルがいくつかあります。史料典拠も、「○○家文書」(『史料集名』文書番号またはページ数)などが一般的でしょうか。この統一に気を遣わない人は少なくありません。これに気をつけるだけで、「この人はきちんと他人の論文を読んでいるな」ということが伝わってきます。

 ◆「はじめに」と「おわりに」の対応は取れているか
 論文なのですから、「はじめに」で問題を提起し、「おわりに」で回答を提示する形が基本です。ところが、この対応が取れていないことが非常に多いのです。「はじめに」「おわりに」は最後に見直さないといけない重要な部分です。「はじめに」を最後に書く、というスタンスの人がいるのはこのせいです。

 ◆自分の意図が伝わる文章を書けているか
 論文は小説とは違います。美文を書くことが目的ではありません。また、想像の余地を残されても困ります。自分の言いたいことがきちんと伝わる文章が書けているかチェックして下さい。複数の意味に取ることができてしまう文章、何を言いたいのかよくわからない文章に、編集者・査読者は頻繁に遭遇します。
 意味さえきちんと伝われば、はじめは下手でもいいのです。書き慣れれば、だんだん自分なりの文章がつかめるようになります。

 ◆図表は論文のなかで活かされているか
 最近はパソコンソフトが使いやすくなり、図表を多用した論文が増えました。ただ、残念ながら「不必要な」図表が多いというのが現状です。図表を使う場合は、必ず本文中で活用して下さい。論文の作成過程で作った表を付けることには、何の意味もありません。

 ◆印刷して読み直しているか
 パソコンの画面で文章を読んで終わり。これは最悪です。何度もプリントアウトして、紙媒体で推敲を加えて下さい。論文だけではなく、どんな文章でも絶対に必要な作業です。画面でチェックするだけでは、絶対に見落としがでます。


 ・・・色々と偉そうなことを書いてしまいました。汗顔のいたりですが、御容赦下さい。あと、適宜修正・追加をする可能性があります。
(2013-11-08)
○『年報三田中世史研究』20号の刊行
 慶應中世史の院生同人誌、『年報三田中世史研究』20号が刊行されました。20号ということで、いつもより分厚くなっています。

奈良・平安前期の流罪に関する小考山下紘嗣
中世前期における「管領」―鎌倉・室町幕府「管領」研究のための予備的考察―桃崎有一郎
中世の戦争をめぐる法慣習の心性―神社への避難・隠物と竹木伐採禁制を中心に―下村周太郎
中世後期官務・局務の文庫と公武政権丸山裕之
大乗院尋尊と東林院尊誉―興福寺東林院主職の相承と尋尊・尊誉による再興―大薮海
【史料紹介】高野山金剛三昧院所蔵『奥平家中集位牌帳』丸島和洋

 拙稿は、恒例の高野山の調査成果報告です。今回の位牌帳は、金剛三昧院の近世文書の山の中から見つけ出しました。おそらく、金剛三昧院に合併された中性院のものでしょう。奥平家の菩提所は、中性院だからです。ですので、前号で紹介した『奥平家過去帳』とセットになるものといえるでしょう。今回も、戦国期の記載が少しあります。奥平家の家臣団研究の一助となれば幸いです。
(2013-09-30)
○『本 読書人の雑誌』エッセイのウェブ公開
 『本 読書人の雑誌』2013年9月号に掲載された拙文「歴史研究者と戦国大名の距離感」が、講談社・現代ビジネスのwebサイトで公開されました。

 軽いエッセイなのですが、お暇な時にでもお読みいただければと思います。気恥ずかしい内容なので、ちょっと戸惑いもありますが…。
(2013-09-03)
○『戦国大名の「外交」』の発売
 拙著『戦国大名の「外交」』(講談社選書メチエ、四六判・272頁・1700円税別)の発売日が近づいて参りました。一足早く、今日、見本誌を頂戴いたしました。

 それで、表紙を見て、アッと思いました。この表紙は、武田信玄像・北条氏康像に両者の花押を添えるというデザインなのですが、武田信玄像がこちらが依頼したものと異なっていたのです。

 高野山霊宝館には、成慶院本と持明院本の二幅の武田信玄像が寄託されています。そのうち、表紙には持明院本をと編集部に頼んだのですが、途中で編集者の異動が起こるなど慌ただしいなかで、伝言ゲームが起こってしまったようなのです。

 ご承知の方も多いかと思いますが、成慶院本には、像主が誰かをめぐって論争が存在します。私には絵画史料を判断する能力はありませんので、信玄像を用いる際には中立的な立場を表明するために、持明院本の使用を常としています。ただ、この点(霊宝館に二幅ある点などもろもろ)を編集部にうまく伝えられていなかったようで、成慶院本の掲載となりました。私のほうも、本文の校正に集中してしまい、表紙の校正まで要求はしておりませんでした。一度見せて欲しいと頼めば良かったのですが、表紙は完成後のお楽しみにしておこうと思ったのが良くなかったようです。

 これですと、私が成慶院本の像主について意見表明をした形になってしまい、ちょっと困った事態になったな、と思っている次第です(繰り返しますが、私には絵画史料の像主を判定する能力はありません)。ですので、ここに簡単な経緯を記させていただいて、誤解を招いたことをお詫び申し上げたいと思います。
(2013-08-05)
○拙著『戦国大名の「外交」』の校了
 8月9日(金)に、講談社選書メチエとして拙著『戦国大名の「外交」』が刊行されます(四六判・272頁・1700円税別)。編集者の方の協力もあり、何とか無事に校了いたしました。

 ちょっと気が早いですが、先行して目次を公開したいと思います。

 ※小見出しを追加・修正しました(2013-07-29・08-05)。

序章戦国大名という「地域国家」
第一章外交の作法
  1同盟・和睦と大名の面目
  同盟の呼び方/駿相同盟崩壊の背景/戦国武士の名前/外交責任者「取次」と半途での交渉/取次を介した交渉と「中人制」
  2起請文の交換
  起請文の作法/特殊な神文
  3同盟の成立と崩壊
  国分協定/姻戚関係の構築/「手合」という軍事支援/同盟の不安定さ/「手切之一札」
第二章外交による国境再編
  1国分――国境の再編協定
  「国郡境目相論」/同盟交渉と国分/国分による「転封」と国境の再編
  2国衆の両属
  国衆離反が招く戦争/両属という事態/両属の解消―武田・織田衝突の契機
  3村落と戦争
  村落の外交と禁制の獲得/半手村落の設定/境目の村落が生み出す戦争/戦国大名領国における「平和」
第三章外交書状の作られ方
  1書札礼とは何か
  外交書状と書札礼/料紙の使い方
  2取次書状の作られ方
  取次の設定と外交書状の組み合わせ/「二重外交」への危惧/同じ右筆が書いた外交文書/外交書状の内容指示/取次に対する副状作成案提示/外交書状の運ばれ方/取次の決定経緯/取次副状案の外交相手への転送
第四章取次という外交官
  1武田氏・北条氏の取次の構成
  武田氏外交の取次/北条氏外交の取次
  2当主側近の外交参加
  側近による外交書状の披露/外交相手にとっての側近の存在意義
  3一門・宿老の外交参加
  「家宰」という存在/武田家における板垣・甘利氏――偏諱からみる家格/一門・宿老の起用と大名書状の「保証」/一門・宿老の安定性/もうひとつの理由――「指南」と「小指南」
  4「取次権の安堵」
  分国法と取次の権限/取次同士の内々の交渉/取次に対する進退保証/取次権の知行化と安堵/取次変更のトラブルと配慮
第五章外交の使者
  1使者の人選
  武田氏外交の使者/将軍上使の起用/在京雑掌/山伏の派遣
  2使者の危険性と路次馳走
  使者捕縛指令――使者通過の困難さ/境目の城代の路次馳走/境目の責任者たちの判断
第六章外交の交渉ルート
  1越相同盟の成立と二つの手筋
  越相同盟におけるふたつの「手筋」/越相同盟交渉と関東政治史の大転換/北条氏照の独自行動
  2手筋の統合
  新「由良手筋」の誕生/取次のバランス――カウンターパートの設定/手筋統合の実態
  3越相同盟の崩壊
  北条氏照書状の回覧/上杉氏外交と氏照書状の位置/北条氏照への配慮/越相同盟交渉の頓挫/越相同盟破棄と取次のその後
第七章独断で動く取次
  1取次島津家久の独断
  阿蘇氏従属交渉と取次島津家久の予備交渉/難航する交渉/島津氏譲歩の背景/有馬晴信と合志親重の従属
  2島津家久の裏の動き
  崩壊寸前の豊薩一和/入田宗和の従属申し出/田中筑前守の虚言と島津家久/取次島津家久の暗躍
  3過激化する取次
  豊薩開戦の談合と秀吉の停戦命令/上井覚兼の取次化/秀吉による九州国分裁定と豊薩開戦の決定/島津義久の方針転換と困惑する取次たち/取次たちの積極策/過激化する取次上井覚兼/島津義久の激怒/大名と取次の意向の乖離
第八章取次に与えられた恩賞
  1他大名から与えられる知行地
  伊達家臣小梁川宗朝に与えられた知行/上杉家臣北条高広に与えられた知行
  2「取次給」の宛行
  北条氏の「他国衆」小山田氏/『役帳』の記載と北条氏に対する取次/「取次給」という理解
  3国衆側の取次への接し方
  国衆側の取次と大名の関係/国衆側取次に期待されたもの/国衆従属に対する「恩賞」
終章戦国大名外交の行く末
  1戦国大名の取次化
  室町幕府からの連続と非連続/戦国大名の取次と豊臣政権の取次/戦国大名自身の取次化/豊臣政権の取次と戦国大名の指南
  2国分協定から「惣無事令」へ
  外交からみる戦国大名権力の特色/室町幕府将軍の和睦調停/織田政権の和睦調停/天正壬午の乱/「信長如御在世之時候、各惣無事」/「惣無事令」をめぐって/沼田領問題/「惣無事令」による裁定

 内容は、拙著『戦国大名武田氏の権力構造』(思文閣出版、以下旧著)の第一部(および終章の一部)をもとに、増補して一般の方向けに書き直したものとなっています。ただし政治史的な話は、甲駿相三国同盟を軸としており、甲越同盟と甲佐同盟を軸にした旧著とは話を入れ替えています。旧著の段階とは、見解を修正した部分もあります。

 なお第一章から第三章第1節、および終章第2節は、ほぼ完全な新稿です(少し『別冊太陽 戦国大名』を元に書いた部分もありますが)。旧著をお読みいただいた方も、御覧いただけると幸甚です。

 正直なところ、メチエとしては、ちょっと章立てが多いかもしれません。そのためもあって、予定より頁数が増加してしまい、その分価格も少し高くなってしまいました。これについては、見通しの甘さをお詫びするしかありません。

 8月の刊行まで、今暫くお待ち下さい。
 
(2013-07-24・07-29・08-05修正)
○『四国と戦国世界』刊行
 四国中世史研究会・戦国史研究会編『四国と戦国世界』(岩田書院)が刊行されました。2012年8月18日に行われたシンポジウム「四国をめぐる戦国の諸相」を活字化したものです。

 目次は下記の通りです。

戦国の活力―東瀬戸内地域の視点から―山田邦明
戦国大名武田氏と従属国衆丸島和洋
足利義稙後期の幕府政治と御内書・副状浜口誠至
織田・羽柴氏の四国進出と三好氏天野忠幸
毛利氏と長宗我部氏の南伊予介入山内治朋
全体討論 
四国戦国期研究文献目録 

 お恥ずかしいことに、早速訂正。拙稿で武田氏と今川氏の同盟を天文5年と書いてしまったのですが、これは6年の誤りです。まあ5年段階で関係は好転するので、完全な間違いではないのですが…。思い込みというのは恐ろしいものです。ちょっとチェックすれば済んだものをと悔やんでも仕方ありません。幸いなことに、論旨には影響はありませんが。

 なお、拙稿は「四国と関係ないじゃないか!」と言われそうですが、ちょこっとだけ四国に触れています。本当に少しですが。

 このところ、著書の校正に追われています。ようやく、本二冊の初校を返したところで、ひとときの休息。両書の再校がいつ戻ってくるか、ちょっとどきどきしています。タイミングが重ならなければ良いのですが。どういう本かは、早ければ来月にはご報告できるかと思います。しかしわれながら、相変わらず初校は直しが多すぎます。これまたお恥ずかしい限りです。編集者の方に、陳謝。
(2013-06-22)
○『山本菅助の実像を探る』刊行
 戎光祥出版より、山梨県立博物館監修・海老沼真治編著『山本菅助の実像を探る』が刊行されました。

 同書は、2008年に群馬県安中市で存在が確認された「真下家所蔵文書」および2009年に所在が確認された「沼津山本家文書」という山本菅助家の家伝文書をもとに、『甲陽軍鑑』に登場する「山本勘助」の実像に一次史料から迫ったものです。
 中核となっている論考は、2010年6月26日に行われたシンポジウム「山本菅助再考」の報告を元にしています。本書校正中の昨年12月、真下家において追加文書1点がみつかり、慌てて可能な限り本文に反映するなど、本当に最新の成果をご提示させていただいたものとなっております。口絵には、「真下家所蔵文書」および「沼津山本家文書」のうち中世分がカラー写真で掲載されています。

第1部 論考編
山本菅助に関わる新出史料の調査と概要海老沼真治・佐野亨介
山本勘助・菅助研究の軌跡平山優
山本氏の系譜海老沼真治
武田家臣山本菅助とその子息丸島和洋
徳川家康に仕えた山本氏柴裕之
山本菅助一族とその時代―乱世から太平の世へ―平山優
再考「菅助」と「勘助」海老沼真治・平山優
第2部 資料編
山本菅助略系図 
山本菅助関係年表 
山本菅助史料集 
新史料紹介 真下家所蔵文書 武田家ヵ朱印状・山本家系譜海老沼真治
山本家系譜 翻刻 

 私は、武田家臣時代の山本菅助について執筆させていただきました。具体的には、「山本勘助」のモデルとなった初代菅助、長篠合戦で戦死した二代菅助(初代菅助実子)、初代菅助の婿養子十左衛門尉の武田家臣時代についてです。

 おそらくですが、本書のメインとなるのは実は私が執筆した武田家臣時代の話ではなく、平山さんが執筆された近世初期における山本菅助の子孫の仕官活動と武田氏旧臣ネットワークの研究となるでしょう。何しろ武田家臣では非常に珍しい「家伝文書」の発見ですから、そこから論じることのできる話は尽きません。本書は、そのはじめの一歩を記したものとなります。

 しかしかつて「架空の人物」呼ばわりされた山本勘助が、もっとも豊富な「家伝文書」を伝える武田家臣となるとは、世の中何が起こるかわかりませんね。
 なお、本文中で触れられている「真下家所蔵文書」調査の様子は、NHK山梨で放映されましたので、山梨県にお住まいの方は、御覧になっているかもしれません。
(2013-05-27)
○いまさらながら再宣伝 『別冊太陽戦国大名』
 色々と宣伝することが貯まりつつあるのですが、もう少しだけ間が空きそうなので、3年前に刊行した黒田基樹監修『別冊太陽 戦国大名』(平凡社、2010年)の宣伝をば。
 この本、ヴィジュアル誌ではあるのですが、中堅・若手研究者だけで執筆した本格的な戦国大名論となっています。そのうえ、「ともかく分かりやすい文章を!」という編集部と、「(図版はいいから)もっと文字数が欲しい!」という執筆陣の駆け引きの末、『別冊太陽』シリーズでは過去最多の文字数で、かつ写真も多く掲載したボリュームのある本に仕上がりました。

 いずれにせよ、戦国大名論の最新の知見を示した入門書として、幅広くお薦めできるものだと思います。

 目次は以下の通りとなっています。

□いまもっともリアルな戦国大名の姿黒田基樹
地域別 戦国の城・合戦地図
戦国史年表
□戦乱の世の兆し 〜一四四一(嘉吉元)年
戦国時代はなぜ生まれたのか 兵士はどこからやってきたのか黒田基樹
室町幕府とは何か天野忠幸
室町幕府と鎌倉府の戦い それぞれの内紛天野忠幸
〔トピック〕土一揆 都市の富を狙う集団長谷川裕子
〔トピック〕徳政 戦国時代の金融政策長谷川裕子
〔トピック〕村同士の戦争 権威を動かす村の政治力長谷川裕子
□下剋上の嵐 一四四一(嘉吉元)〜一五五八(弘治四・永禄元)年
戦国大名の成立 彼らはどこからやってきたのか黒田基樹
応仁・文明の乱天野忠幸
関東戦国時代の幕開け丸島和洋
〔コラム〕伊勢宗瑞の伊豆経略丸島和洋
細川氏の栄光と内紛天野忠幸
〔トピック〕大名の城、村の城 城維持のしくみ長谷川裕子
東アジア世界の変容と中国地方・九州北部の諸勢力村井良介
〔トピック〕撰銭 大名たちを悩ませた貨幣問題長谷川裕子
北方の戦国史丸島和洋
〔トピック〕伊達氏の台頭丸島和洋
京都制圧、三好政権の樹立天野忠幸
□群雄割拠のとき 一五五三(天文二十二)〜一五八〇(天正八)年
領国支配構造の転換 戦争しながら社会をどうつくるのか黒田基樹
同盟とは何か 甲駿相三国同盟の成立丸島和洋
川中島の戦い丸島和洋
〔トピック〕越相同盟と佐竹氏・里見氏の台頭丸島和洋
信長の京都上洛柴裕之
毛利氏、中国地方を制覇村井良介
〔トピック〕桶狭間の戦い 今川義元はなぜここにいたのか柴裕之
信長包囲網の形成と室町幕府の滅亡柴裕之
長篠の戦い柴裕之
石山合戦 戦国大名と宗教柴裕之
〔トピック〕傭兵 戦場を渡り歩いたプロ集団長谷川裕子
〔トピック〕南蛮文化 大名たちを虜にした西欧の思想長谷川裕子
〔コラム〕安土築城柴裕之
〔コラム〕鉄炮伝来長谷川裕子
□天下一統への道 一五八二(天正十)〜一六一五(慶長二十・元和元)年
近世平和への展開 兵士はどこへ消えたのか黒田基樹
信長から秀吉へ 本能寺の変、賤ヶ岳の戦い木下聡
小牧・長久手の戦い木下聡
秀吉の関白任官 豊臣政権の樹立木下聡
〔トピック〕刀狩り 百姓の武装解除はパフォーマンス!?長谷川裕子
〔トピック〕人掃令 政策の裏に見える秀吉の思惑長谷川裕子
四国平定戸谷穂高
九州平定戸谷穂高
関東・奥羽平定 「天下一統」の完成戸谷穂高
〔トピック〕秀吉に服属した大名の危機感 南部信直の場合丸島和洋
秀吉の朝鮮出兵 文禄・慶長の役(壬辰倭乱・丁酉再乱)戸谷穂高
〔トピック〕大名と茶の湯戸谷穂高
徳川幕府の樹立、豊臣家の滅亡戸谷穂高
〔コラム〕薩摩藩の琉球出兵戸谷穂高
〔コラム〕兵農分離はあったのか黒田基樹
参考文献

 今、別件でまた戦国大名特集号への執筆依頼を受けています。これは夏頃に、ご報告が出来ると思います。戦国時代の研究は、90年代に入ってから飛躍的に前進しました。その成果の一端を、お伝えできればと思っています。

(2013-04-10)
○『甲斐小山田氏』刊行
 ふ〜。ぎりぎりで7月。『論集 戦国大名と国衆5 甲斐小山田氏』(岩田書院、A5判・カバー装、304頁、3,200円税別)が刊行です。

 『甲斐小山田氏』

総論 甲斐小山田氏の系譜と政治的動向 丸島 和洋
郡内小山田氏の興亡(1974)東四柳 史明
武田信虎と郡内小山田氏―「妙法寺記」にみる―(1974)なかざわ しんきち
郡内小山田氏断簡(1978)なかざわ しんきち
武田氏の領国経営と小山田氏の地域支配(1988)なかざわ しんきち
郡内小山田氏―武田氏との関係―(1974)小山田 了三
小山田氏の郡内支配―支配領域と武田氏権力の検討―(1990)小山田 了三
小山田氏の郡内支配について(1981)小峰 裕美
武田氏と郡内領に関する一史料(1982)須藤 茂樹
戦国大名武田氏の権力構造―武田氏と穴山氏、小山田氏との関係―(1987)渡辺 憲一
武田氏の領国形成と小山田氏(1988)堀内 亨
岩殿城の史的一考察(1989)萩原 三雄

 大名・国衆に関する論文のうち、単著に未再録で、入手・閲覧が困難なものを集めて公刊しようという「論集 戦国大名と国衆」企画。第4弾である『武蔵三田氏』が2010年12月奥付ですから、半年以上も間隔が明いてしまいました。ここまで、後北条関係が続いていましたが、ようやく武田関係の登場です。

 「はしがき」にも書きましたし、岩田さんのHPにも抜粋されていますが、再録方針について。小山田に関する論文は非常に多いので、正直、一冊にまとめることは不可能。まずシリーズの方針として、未再録のものに限る、としています。それで柴辻俊六・笹本正治・矢田俊文各氏の論文については、一部を除いて著書に再録されていますので、各氏の御著書をご参照いただけば良いと考えて、除外させていただきました。これにさらに80年代以前のもの、せめて90年まで、という限定をつけました。それでも到底収まり切りません。とりわけ、故・小山田了三氏の論文は非常に数が多いので、特に氏の見解がまとまっている2本に限らせていただきました。

 それでも、予想を超えるページ数になりました。というのも、上記基準から漏れた論文・研究史をフォローしようと考えたせいもあり、総論に紙幅を割きすぎてしまったのです・・・。まさか4万字、50頁になろうとは。書いた本人がビックリです(苦笑)。
(2011-07-31)
○『織田権力の領域支配』刊行
 戦国史研究会編『織田権力の領域支配』(岩田書院、8,400円税別、385頁)が刊行されました。昨年6月に行った戦国史研究会のシンポジウム「織田権力論―領域支配の視点から―」と、翌7月例会で行われた関連報告(功刀報告)をあわせ、1冊にまとめたものです。昨日会のほうに納品だったので、店頭に並ぶにはもうちょっとかかるのかな。

◆戦国史研究会編『織田権力の領域支配』(岩田書院、2011年4月)

山田 邦明
シンポジウム趣旨説明戦国史研究会シンポジウム勉強会
 I
織田権力の京都支配木下 昌規
織田権力の摂津支配下川 雅弘
織田権力の和泉支配平井 上総
 II
織田権力と織田信忠木下 聡
織田権力と北畠信雄小川 雄
 III
織田権力の北陸支配丸島 和洋
織田権力の若狭支配功刀 俊宏
明智光秀の領国支配鈴木 将典
羽柴秀吉の領国支配柴 裕之
 IV
織田権力の取次戸谷 穂高
討論
シンポジウム開催までの記録
あとがき

 全体は、4部構成で、10本の論文を収録。執筆者の略歴をみて気がついたのですが(遅い)、1973年から1980年生まれ。全員30代ですね。あれ、私って真ん中くらいなのかしらん?非常に若い執筆メンバーです。

 未だに疑問を呈示されるのですが、「織田政権論」ではありません。東国の戦国大名研究の手法を織田氏に導入し、大名権力としての織田氏(織田権力)を考えてみようというものです。本書収録の拙稿でも書きましたし、何度でもいいますが、「中央権力を掌握」したから、秀吉にいたる天下統一の先駆けになったから、「特別な政策を行った『はず』だ」というのは、命題として成り立ちません。結果論です。本文に比べて、ちょっと強めに断言。

 私としては、織田氏から中央権力という先入観を排除して、権力の特徴を、捉え直してみたいのです。そもそも、織田研究と、その他の戦国大名研究が、まともにリンクしていない現状を、これ以上放置してよいのか、という疑問もあります。ようは、賛同するにせよ、反論するにせよ、議論をしましょうよ、ということです。

 私の担当は、柴田勝家。「柴田勝家の〜〜」とすると奇麗に並ぶのですが、武藤舜秀(敦賀郡)や前田利家(能登)についても検討しているので、こういうタイトルに落ち着きました。何で?と聞かれることがありますが、気分転換に、朝倉氏の発給文書を眺めることを、昔から結構やっていたので…。
 具体的内容は、「一職支配論」について考え直す、というものです。私にしては、ちょっと大きな議論でしょうか。シンポ当日の報告に比べると、少し手を加えた箇所がありますが(あの時は病み上がりでして…すいません)、全体の論旨そのものには、一切変更はありません。

 それと、執筆者間の議論について。細かい論点は、シンポジウムの準備報告に際し、議論を闘わせましたが、強引に統一を図ったりはしていません。各論者で、微妙に違いはあるはずです。学問ですから、当たり前のことですが。

 本書が、議論の活性化に少しでも寄与すれば、幸いです。なお、毎度ながら、以上はあくまでも私見ですので、念のため。
(2011-04-23)
○小著の刊行
 小著が刊行の運びとなりました。本日、出版社から現物を受領。

  ◆丸島和洋『戦国大名武田氏の権力構造』(思文閣出版、8,500円税別)

 『戦国大名武田氏の権力構造』

 序 章  戦国大名研究の現状と本書の視角

 第一部  戦国大名間外交と取次
  第一章  武田氏の対上杉氏外交と取次
  第二章  武田氏の対佐竹氏外交と取次
  第三章  武田氏の外交取次とその構成
  第四章  大名間外交と「手筋」―越相同盟再考―
  第五章  取次の書状作成過程
  第六章  取次の独断―島津氏の事例から―
  第七章  取次給の宛行

 第二部  大名家中の権力構造と領域支配
  第八章  武田氏の領域支配と郡司―信濃国諏方郡支配を事例として―
  第九章  武田氏の領域支配と取次―奉書式朱印状の奉者をめぐって―
  第一〇章  武田家臣三枝氏の家意識とその変遷
  第一一章  武田氏の一門と領域支配
  第一二章  室町〜戦国期の武田氏権力―守護職の評価をめぐって―

 終章  戦国大名武田氏権力の特質と構造

 カバーは「上杉家文書」より。デザインしづらい切紙の文書のうえに、「猶小山田可申候」と勝頼花押と宛先が表紙に出るようにしてください、という無茶苦茶な注文に、見事に応えていただきました(多謝)。色調は、相変わらずの緑。ただひたすら、緑。

 二部構成で、本文408頁に、索引15頁という形です。目次や凡例を加えて、430頁くらいでしょうか。付属物として、序章の後に「戦国期武田領国地図」(34頁)、11章に高野山成慶院『武田日牌帳 三番』の写真(328頁)を載せさせていただきました。後者の写真掲載は、はじめてかも。基本的に武田氏を素材としていますが、4・5章は後北条氏、6章は島津氏を扱っています。

 新稿は、序章・終章に7章(第2節前半除く)・10章・12章。他は再録となりますが、かなり手を加えました。1章あたりは、書いてから10年経っていますので、原型とは相当異なっているかもしれません。2章・3章についても、相互の構成を入れ替えたりしています。しかし改めて旧稿を読み直してみると、あまりのケアレスミスの多さに冷や汗が…。もう直す機会がないと思うと、もっと汗が……。

 お手に取る機会がありましたら、よろしくお願いします。
(2011-03-01)
 
 
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2017-01-03
雑記更新
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